8)故郷に寄せる時間の幅
「福島ではとくに、子どもたちが大変なわけじゃないですか。放射能の問題とかね。震災のとき、やっぱり高校生とか中学生の日出男くん(古川自身)が被爆したらどうなった、といった意識があったんですよ。あのとき、同じ場所にいた自分が何かされたっていうね。小さい自分が被爆すると想像したら、本当にもう悲しみはすごかった。まあ、正しい意味でのシンパシーで、今の子たちはこうなってしまったら、自分はどう動けばいいのか。あるいは、自分が中学生、高校生だったら、大人にどう動いてほしいのかということを考え、(学校を)やろうとしたんです」。
過去の自分をイメージし、現在の子どもたちの姿と重ね合わせる。自分が直接被害に遭っているわけではないが、遠い東京から郡山やほかの東北の人々の気持ちを思う。作家だけでなく、いち個人として古川が培ってきた想像力が起動し始め、郷愁が訪れた瞬間であった。
「風景が持続しないと、郷土とか土地の意識とかは愛の対象として残らないような気がするんですよ。東京も30年以上住んでいますけど、10年単位でひとが変わるじゃないですか。そうすると、自分が好きだったお店とか風景がなくなっちゃうから、東京の地域への郷土愛が維持できない。土地が浸食されているという意識がすごくあって、(郷土愛も)残らないんですね。自分が愛着を覚えているのは、時間の幅なんだろうなと。好きなものが詰まっている時間と土地があったとして、時間が抜け落ちてしまうと、残ったとしても土地は別なものに変質してしまう、そんなことが随所随所で起きているような気がします。どの地方都市も典型的に郊外化しているとしたら、10年前と違って面白くないってみんな思うだろうし」。
時間の幅とは、長い歳月により蓄積された昔日への思いのことだろう。そんな古川を見ていると、時代が変わり、新しいものが到来し、もはや親しみや愛情を感じていた場所が存在しなくなることに抗い、立ち向かっているかのように映る。目ざましいほどに移りゆく日本の社会で、情熱と想像力を引き連れ、絶え間なく闘う彼のすがたが目に浮かぶ。