9)終わりに 純粋に楽しんで、ものをつくるということ
RYOTA MURAKAMIは、母・千明さんの“オカンの感性”を生かし、息子・亮太さんがデザインし制作を行うブランドであった。オカンアート的なものづくりをしてきた母と、モードに憧れてきた息子は互いに「わけがわからならない」と言い合いながらも、受け入れ、認め合うことで、新鮮なテイストのファッションが生まれたのである。
ファッションというと、一部のファッション好きなひとたちのものと捉えられがちだけれど、RYOTA MURAKAMIが目指すところはそこではない。モードの世界にとどまらず、オカンの手づくりの持つ野暮ったいかわいらしさもまたファッションのひとつと捉え、自由なものづくりの楽しさを全面的に打ち出して、服を見たり、着たりすることの素朴な喜びを思い起こさせてくれるのだ。
その姿勢は、前編で取りあげた、行司千絵さんの服づくりにも通じるところがある。大切なのは、楽しんでつくること。行司さんの場合はさらに、その服を着るひとを頭に思い浮かべながら、そのひとらしい服をつくることを何より大切にしていた。自分のできる範囲でおこなう、受け取るひとのことを想う服づくりだ。
いっぽう村上亮太さんの場合は、オカンたちのものづくりを「創造的」と捉えてファッションに取り入れ、ファッションの裾野を広げようとしている。全国にどれくらい、手芸にいそしむ主婦がいるのかはわからないが(相当の数だとは思うが)、その女性たちの手づくりが、若い世代のクリエーションと出会い、何かが生まれていくとしたら、さまざまな可能性がひらけるのではないだろうか。なんといっても彼女たちが、たいへんな熱量と純粋さを持って、手芸に向かっているのは間違いないのだから。
千明さんは、いつか自分の絵を亮太さんが使わなくなってもいいと思っている。わたしは踏み台でかまわないから、と。しかし、そう言いながら、やっぱり絵を描くことは楽しいから続けたいですけどね、と笑う。親子デュオの制作がこの後どのように展開していくのか。千明さんの関わり方がどのように変わっていくのか、また他のオカン的なものづくりとつながっていくのか。RYOTA MURAKAMIのこの先を見ていきたい。