3)お母さんに服をつくる
あくまで自分の楽しみとして服をつくり始めた行司さんだが、2、3年もすると、きれいな布との出会いから、同居するお母さん、美知子さんの服をつくるようにもなっていた。
——京都の布地店「リネット」で、自分の布を買おうと思ったときに、白のきれいな布を見つけて。ふと母のワンピースをつくったら可愛いかもしれないと思って、母の分も買ったんです。ベルギー産の高価な布で、もったいないとも思ったんですが、高い分ていねいに縫って、母のワンピースをつくったら、意外にもめっちゃ似合ったんですね。そこからです。自分のものばかりつくっていてもつまらないし、服は食べ物みたいに消えずに残るしと思って、自分の服を6割とすれば母のを4割のペースでつくり始めました。自分、自分、自分、時おり母、みたいな感じですかね。気持ちはまだ、あくまで自分でしたけど。
その当時、美知子さんは70代に入ったころだったが、行司さんと同じく、似合う服が見つからなくなっていた。髪を染めるのをやめてしまった時期で、白髪になると、それまで好きで着ていた、紺や黒が主体のトラッドっぽい服が似合わない。行司さんいわく“めっちゃ老けて”見えてしまっていた。
身長145cmと小柄だから、百貨店などの小さいサイズのコーナーなどを見に行っても、いかにもシニア向けの色やデザインのものばかりで、しっくりこない。そんなとき、たまたまGAPやZARAなどの子ども服売り場に行って、カラフルなTシャツを買ってきたら、それが意外にもよく似合った。
——母にはカラフルな服が似合うとわかってきて、いわゆる年相応の服を着なくてもいいんじゃないかと思うようになりました。まっ赤や薄紫色のリネンなど、わたしが勝手に素材を見つけてつくるようになって、手づくりの服が増えていったんです。自分も楽しかったので、引き出しが閉まらなくなるくらいつくって。「もうつくらんといて」と言われても、知らんぷりして似合うと思う布を見つけたら買ってつくってました。
行司さんにとって、お母さんの服づくりは「誰かのためにつくる」楽しさを初めて知ることでもあった。ずっと一緒に暮らしてきた美知子さんとは服の好みが似ているし、体型などもよくわかっている。自分のつくった服が似合って、美知子さんが可愛いのは、とてもうれしいことだった。また、美知子さんにとっては「自分らしい」と思える服でもあった。
既製服と手づくり服の比重が変わるころには、美知子さんは目に見えて変わっていた。ボブっぽかった髪型が、もっと短く“ワカメちゃん的”になり、靴もプレーンなパンプスから、ワンストラップシューズやブーツになった。ジーンズも履くようになった。
行司さんのつくる服は、美知子さんの年相応というより、美知子さんが着ていて違和感なく、自分らしくいられる服だ。それを身に着けることによって、髪型や靴、バッグなどについても「自分らしさ」を考えるようになったのではないだろうか。好みも体型もよく知っている、近しい存在だからこそつくれる服。その力はとても大きかった。