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アネモメトリ -風の手帖-

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#26
2015.02

とつとつとした点描−美術家・伊達伸明さんの仕事

前編 多様な作品を俯瞰する
8)建物の「お見送り」をする

建物からウクレレをつくったり、住まなくなった家を舞台にインスタレーションしたりするのと同じ感覚で、最近伊達さんは、とりわけ縁の深い建物の「お見送り」をすることになった。2014年に解体された豊中市立市民会館を対象にした「豊中市立市民会館 おみおくり展」だ。
伊達さんが長年住む豊中市にあった市民会館の解体にあたり、竣工時の写真や図面資料、案内パネルや注意看板など、160点あまりを豊中市市民ギャラリーに展示した。1968年に完成して以来、約50年近い時間をあらためて蘇らせる、文字通り建物の「お見送り」をするプロジェクト。この展示の特徴は、建物の一部分を紹介するのみならず、手すりや看板といった、かならず見てしまう味わいのある“ツボ”を集めていくことで成立させていることにある。

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(上)解体された豊中市立市民会館でかつて使われていた看板。これを展示すると(下)のような光景に。大真面目で、どこかとぼけた「お見送り」だ

(上)解体された豊中市立市民会館でかつて使われていた看板。これを展示すると(下)のような光景に。大真面目で、どこかとぼけた「お見送り」だ

「おみおくりプロジェクト」に関して、展示の意義を伊達さんはこう語る。

———この「おみおくり展」は公的な予算で行ったのですが、それ自体が先端的と感じました。予算を投じるのは保存か新築という発想しかなかったところに、美術という切り口でもって「見送る」という行為に予算がついたわけですから。

解体が始まってからの展示であったため、それが保存運動としてとらえられないように注意した。政治性を帯びてしまうと、賛成、反対、どちらかが納得できぬまま終わってしまう。対してこの展覧会の意図を、「市民会館の立場から『卒業旅行に行って参りました、さようなら』というような終わり方にしたかった」と伊達さんは説明する。もともと建物についていた「豊中市立市民会館」の文字を豊中市のあちこちに「旅」させ、記念写真のように撮影し展示するという試みが示唆的だ。

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伊達さんは、建物についていた「豊中市立市民会館」の文字と、豊中市のさまざまな場所に旅した。野球場に、学校に、まちなかに……。なんともおかしみのある光景

伊達さんは、建物についていた「豊中市立市民会館」の文字と、豊中市のさまざまな場所に旅した。野球場に、学校に、まちなかに……。なんともおかしみのある光景

「豊中市立市民会館 おみおくり展」がきっかけとなり、2014年には「阪大石橋宿舎おみおくり・プロジェクト」の依頼がきた。市民ギャラリーという異なる空間に部分を展示紹介した前者に対し、後者では実際に伊達さんが小学校まで暮らしていた宿舎を現地に再現した。かつての写真や伊達さんの文字通り「書き込み」によって、当時この場所でどんな生活があったのかが垣間見える展覧会になっていた。

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「阪大石橋宿舎・おみおくりプロジェクト」のようす。実際に伊達さんが小学生まで住んでいた家を展示会場とし、当時つくったものや絵、家族写真などに伊達さんがテキストをつけた。(上から)入り口でお出迎えするのは、幼少の伊達さん / 居間の展示。当時の家具などを持ち込み、リアルに再現してある / 夢中になっていた電車の「行き先表示プレート」を観察し、実作した / 「忍者少年」「昆虫少年」「電車少年」など、伊達少年は何かと凝り性だった / 当時使っていた道具とそれが写る写真。時間が行きつ戻りつする

「阪大石橋宿舎・おみおくりプロジェクト」のようす。実際に伊達さんが小学生まで住んでいた家を展示会場とし、当時つくったものや絵、家族写真などに伊達さんがテキストをつけた。(上から)入り口でお出迎えするのは、幼少の伊達さん / 居間の展示。当時の家具などを持ち込み、リアルに再現してある / 夢中になっていた電車の「行き先表示プレート」を観察し、実作した / 「忍者少年」「昆虫少年」「電車少年」など、伊達少年は何かと凝り性だった / 当時使っていた道具とそれが写る写真。時間が行きつ戻りつする

施設の使用者として、ある程度客観的に見ることができた豊中市立市民会館と異なり、自身の家を「おみおくり」の対象にするということは想像を超える困難さがあったようだ。「これまでさんざんひとに聞いているくせに、いざ自分の家のこととなると分からない」と正直な気持ちを語る。現在伊達さんは、自身がかつて住んでいた家からウクレレをつくるという、さらに難しい作業に取り組んでいる。

———思い出や記憶はしゃべっているときにつくられると実感しました。言い換えれば、しゃべっていかないとその思い出は消えてしまうわけです。僕がひとから話を聞いているときは、「すべてがお宝だ」という感覚で聞いていますが、重要なのはそのひとたちが昔から「思い続けている」というところだと思うんです。僕がそれを受けとめた時点で、新しい記憶になっていくのかなと。

「未整理の過去」から、これから語られていく新しい記憶を見つけ出していくこと。幅広い伊達さんの活動における“点描”という行為は、そのための方法であるように思う。伊達さんが「消え行くものが消える直前に関わって最大限に面白くする」と説明する数々のプロジェクトは、過去と未来が重なる現在だからこそ可能なことでもある。
伊達さんは、あらかじめ線で大きな全体図を描くのではなく、ひと、もの、場所との関わり合いの中から記憶の“ツボ”としてある点を拾い上げていく。伊達さんは伊達さんのやり方で新たな現場を見つけ、現在の点描を続ける。その先がどこにつながるのかは、伊達さん自身にとっても「手さぐり」なものとしてある。

伊達さんの作品やこれまでの変遷を紹介する前編に続き、後編ではふたりの方との対話を通して、伊達さんを描写していく。ひとりは、ひとのしぐさや身振りなどを研究する一方、視聴覚、触覚などの感覚について柔軟な考察を続ける細馬宏通さん。もうひとりは小説家の枠におさまらない小説家の福永信さん。ふたりによって引き出される「伊達さん」は、美術家として、またものをつくるひととして、大変興味深く、希有な存在である。

シリーズとつとつ
http://www.maizuru-rb.jp/program_11totsu.html

亜炭香古学
http://www.sendaicf.jp/atan2013/

構成・文:榊原充大
建築家、リサーチャー、京都精華大学非常勤講師。1984年愛知県生まれ。建築等に関する取材執筆、物件活用提案、調査成果物やアーカイブシステムの構築など、編集を軸にした事業を行う。2008年、より多くの人が日常的に都市や建築へ関わるチャンネルを増やすことをねらいとし、建築リサーチ組織RADを共同で開始。同組織では主として調査と編集を責任担当。寄稿書籍に『レム・コールハースは何を変えたのか』(2014)。

写真:森川諒一(表紙、伊達伸明のプロフィール、及び8)の阪大石橋宿舎・おみおくりプロジェクト)*
1982年生まれ。写真家。2009年よりフリーランスとして活動する。人物撮影を中心に、京都を拠点とし幅広い制作活動を行う。

*その他の写真は伊達伸明氏より。伊達氏自宅写真は編集部による。