7)緯糸としての美術
“面白がる”ということに関して感度の高い伊達さんが、ひとが暮らし、使ってきた場に入り、そこから新たな切り口で風景を見せること。そうした「建築物ウクレレ化保存計画」「池上遊覧鉄道」といったプロジェクトの延長上にあり、ひとつのまちを対象にした取り組みを、2012年から仙台で始めた。「せんだいまちなかアート2012」での企画「亜炭香古学(こうこがく)〜足下の仙台を掘り起こす」だ。
かつて石炭の代わりに生活に使われていた「亜炭」という素材の存在を知った伊達さん。すでに使われることはなくなったものの、かつて亜炭とともに暮らしていた地域の人々に、亜炭について聞いて回った。
この取り組みの鍵になっているのは、まず何よりも亜炭という素材を見つけ出したことだ。その発見の背景には、「建築物ウクレレ化保存計画」を行う中で得たこんな感覚があった。
———依頼人の家に行ったときにちっちゃいシール1個がスイッチになって、どんどん話が出てくるようになったんです。そんな“記憶のツボ”のようなものは、まちにしても、家にしても、あるんですよね。
亜炭を調査対象に選んだのは、これが“記憶のツボ”になるはずだと考えたからだった。美しい思い出だけではなく、そんなことを調べてどうするのか、と思われるようなものまで広く情報を集めた。そして、期間限定ギャラリー「亜炭香堂」での展示、伊達さん自身が取材から執筆、広告制作、漫画まで手がけた新聞「亜炭香報」の発行、亜炭線香づくりワークショップなどを行った。
———亜炭は今は採掘されていないし、いわば「残り香」を嗅ぐしかない。実物はあってないようなものなんですよね。だから証言しかない。しかも時期を逃すと直接証言がなくなるから、やるなら今しかない。多岐にわたることなので、どこかの専門研究者がやるだけでは足りないんですよね。やるひとがいないなら、美術の側で引き受けようかなと。美術は本当に緯糸だなと実感するんです。
伊達さんはこのプロジェクトで、学問の領域から捨てられてしまいかねない、個人史的なオーラルヒストリーをとつとつと集めている。体系立てて何かを語るのではなく、ある地域に住むひとたちと亜炭との関係性を点で描く試みだ。何かと何かをつなげ、結びあわせる「緯糸」としての美術。点描という考え方は、美術という分野にいるからこそ生まれてきたものだとも言える。
ただ、「建築物ウクレレ化保存計画」はウクレレという最終的なアウトプットがあるが、一方で「亜炭香古学」にはそれがない。新聞や展示という情報の出し方以外に、伊達さんはこのプロジェクトの成果物をどう考えているのだろうか。
———その落としどころにすごく悩んでいます。例えば映画や小説を利用したときの、フィクションかもしれないという虚実が入り交じっている面白さも有効だとは思うんですけどね。ただ、現在でも継続するなかで本当に膨大な情報が集まっているので、そもそもひとつのストーリーに落とし込めるのか、ということ自体考えないといけない。
伊達さんはじっくりと仙台という地域に向かい合い、2015年8月に開催される仙台での展覧会でひとつの答えを出す。