6)時代に求められるように 「暮らし」と「生活文化」の時代
三谷さんにとって、80年代後半から90年代にかけて蒔いた種が芽を出し、育てる過程だったとすれば、2000年代は大きく花ひらき、誰の目にもふれるようになった、という感じだろうか。端から見ていると、時代が三谷さんを追い求めるようになったのだと思う。
2001 器づくりの合間に、道具や器をモチーフにした立体や平面作品を作り始める。道具の感触と、抽象のかたち
2003 季刊誌『住む。』で絵と文による『僕の生活散歩』の連載を始める。家の小さな窓から見た世界のことを書きたいと思った
2000年代に入ると、三谷さんは器に興味を持つお客さんの質が変わったと感じ始める。特に、2002年から2003年にかけては「クラフトフェアにも若い世代が急速に増えていった」という。
そのころはちょうど、暮らしをテーマとする雑誌『ku:nel』や『リンカラン』などの創刊が相次ぎ、いわゆる「暮らし系」ということばが生まれた時期でもあった。ファッションや外食など、外に向かっていた若い世代の関心が、「家のなか」に向いたのだった。生活をいろどる道具類。それをかたちづくるクラフト系の作家たち。作家のつくったものを取り扱う雑貨店やギャラリーもにわかに増えて、土のものに木製品、布などの自然素材への関心が高まり、生活文化の大きなブームが起こってきた。
なかでも、三谷さんの木の器や道具類は、いつのまにかすごい人気になっていた。圧倒的なものづくりに多くのひとが魅了され、ほしくなるのはよくわかるが、ここまでもてはやされたのは、「暮らし系」がどれだけ急速に広まっていったかということでもあると思う。ともあれ、三谷さん自身のありかたもやることも、まったく何も変わらないのに、周囲の環境は大きく変わってきたのである。三谷さん自身は淡々と、あくまで手の届くところで、「後に続く」ことを探っていた。
(上)白漆の器は他にはない質感。三谷さんというとオイルフィニッシュの器が思い浮かぶかもしれないが、漆の作品もとても美しく、料理が映える(下)一番左が三谷さんの作品。個展などでは器と絵画、立体作品を一緒に展示することも多い
2004 『素と形』展(松本市美術館)を企画する。
日本の社会が、生活に関心が高まるまさにその時に、この展覧会ができたことが良かった。この後からクラフトフェアの出展者も変わった
「生活文化」への関心が高まるさなかに三谷さんが企画したのは、クラフトフェア20周年を記念した『素と形』という展覧会だった。日本で昔から使われてきた日用品を、公立の美術館で展示したのである。生活に使われてきたものたちの根本を見つめ、「美しいかたち」として取りあげたのは、画期的なことであった。
もののセレクトは、三谷さんが信頼する3人の人物に依頼した。「古道具坂田」店主の坂田和實さん、建築家の中村好文さん、グラフィックデザイナーの山口信博さんである。
展覧会には伺えなかったが、「素と形」の図録を書店で拝見したときの驚きは忘れられない。木や金属、布などの素材の美しさに、使い勝手を考えた素朴な、生活に密着したかたち。もののありようを見事にとらえた透明感のある写真。どこをとっても見たことのない、画期的な本だった。
——クラフトフェアという場を通じて、暮らしや工芸について、何ができるだろう、と考えてきた。全国に増えてきたクラフトフェアに対しても(同じことをするのではなく)、どうしたらいろんなことができるかな、と。場を利用して、こんなことができるんだというモデルをつくりたかったんだよね。
話は少し戻るが、『MANO』を創刊したときも、三谷さんは連動企画として、「クラフトフェアまつもと」にあわせて『MANO』で取り上げた作家5人の展覧会を別会場で行っている。フェア(というか、フェアの精神)をどんなふうに発展させることができるのか、三谷さんはずいぶん前から考え、実験的に試みていた。
ともあれ、「素と形」展の反響は、たいへん大きなものだった。この展覧会を境に、フェアの出展者も若い世代が一気に増えて、会場の空気もがらりと変わっていった。生活のものづくりに関心が高まり、三谷さん始め、スターのような作家が幾人も登場し、昔ながらの古い道具も見直されてゆく。2010年代に入って名づけられた「生活工芸」の時代は、このときすでに始まっていたのである。