5)着心地と、色とかたちと “誰のため”を考えぬく
モリカゲシャツ 森蔭大介(2)
森蔭さんのものづくり、商いの姿勢には、いわゆるファッションデザイナーではなく、職人の趣きが感じられる。彼のつくるシャツもトレンドを意識したり、毎シーズンかたちや色を大きく変えたりするのではなく、シンブルで使いやすいものだ。しかし、よく見るとボタンひとつひとつの種類が全部違っていたり、生地の色が左右アシンメトリーだったり、さりげないこだわりが特徴。個性を前面に押し出すようなデザインではない。
オーダーをやりたいと思った時点で、森蔭さんは誰のためにつくるのかを考えてきた。たくさんつくって安く売るのもデザインだし、少しつくって高くするのもデザイン。デザイナーの個性は、そこをどうアプローチするかから始まる。
——僕のデザインはいかに使いやすいかを大切にしています。ただ見た目に衝撃を与えるかたち、色ということではない。
服はつくったひとより、お客さんと過ごす時間のほうが長い。デザイナーは見た瞬間のことを考えますよね、ショーや店頭で。でも買った後のお客さんとのつき合いのほうが長い。買ったものとつき合っていくって、使いやすいということが大切な要因だと思っています。昔から変わらない人間の生活にフィットするものがあってもいいと思う。
とはいうものの、服を見たときの感動は必要です。服を着るひとはいつも自分の姿をまじまじと見ているわけではない。見ているのは、周りのひと。いつもいいの着ているね、とか言われると、悪い気はしない。本人にとっては着心地がいいこと、他のひとから見て印象に残るような、色とかたち。それが僕のデザインの考え方。この2つです。
森蔭さんの話を聞いていると、彼がいかに服づくりや商いについて考えぬいてきたかが伝わってくる。ファッションの世界は、若手デザイナーが10年以上やり続けるのは難しいといわれる世界である。絶えず新しいことを試み、話題づくりをしなければ、後から出てくるブランドに押されて、存在感を失っていく。90年代、インディーズブランドが雨後の竹の子のごとく登場したが、大半はいつの間にか消えていった。マーケットも小さく、マスメディアもない京都で長い間ブランドをするのは容易なことではない。
——見つけてもらう、買ってもらう、使ってもらう、また買ってもらう。こういうサイクルができないと商売は続かない。僕らのようなビジネスは我慢が必要なんです。でも、サイクルができるまでにあきらめるひとも多い。ファッションをはじめる若いひとって、そもそも長くやろうと思っていないでしょう。
僕は同じことをやり続けようと思っています。だって5年前にモリカゲシャツで買って、修理したいと思っていただいても、うちの店がなくなってしまっていたら、悲しいじゃないですか。店の場所が変わっていたり、やっていることの規模が変わっていても、同じことができないといけないと思っている。それは、お客さんとずっとつながっていけるような状況をつくるからできるんです。
僕はあきらめないんですよ。めちゃめちゃ考える。食えていないころに、明日20万いるけれど、今日80円しかないっていうときもありましたから。どうしたら、どうなるんだろうと知恵も働くようになる。
モリカゲシャツは長く着るシャツというコンセプトなので、顧客との関係を大切にしている。そういう意味では、ブランドを長く続けることが重要だ。反響がよかったらビジネスを一気に広げるというやり方を森蔭はとらない。外部から資本を入れても拡大するという発想はない。
なぜ外部の資本を入れないか、そのひとつは自分で自由にやりたいからだという。外からサポートを受けずにビジネスをすれば、全責任は自分にある代わりに、誰からも文句を言われることはない。
地方ブランドブームについても、彼は外部から資金やコンサルタントを入れるより、つくり手が自ら考えることが大切と考えている。
——やっぱり現場のことは、そこにいるひとたちがやるわけです。きっちり筋道を立てて、長く取りくまないといけない。メディアで取りあげられれば一時的にお客さんは来ますが、その後続けられるのかどうか。
もし自分たちで続けられないとしたら、何か理由があるんです。商品がよくないのかもしれないし、商売の方法に問題があるのかもしれない。それを把握しないといけない。自分たちで続けられないものを援助してもらうっていう考え方はナンセンス。何かお金が入ったり、別の企画が入ったところで、そのひとたちが変わらない限り、続かないし残らない。
京都で独力でやってきた森蔭だけに、ものづくりの現場を見る厳しさには実に説得力がある。地方でブランドを続けるためには、彼のような強い覚悟が何よりも必要なのかもしれない。