2)「オンリーワン」を支える底力
箔押職人 田中一夫さん
ガッシュ、ガッシュ、ガッシュ……。
町工場の機械の音が路地に響く。あいていた扉からなかをのぞくと、ひげを蓄えた職人と目があった。田中一夫さん、田中箔押所の三代目。界隈のクリエイターに慕われる兄貴分でもある。
創業80年あまり。海外の下請けに仕事を奪われて閑古鳥が鳴いていると嘆く町工場の多いなか、田中箔押所は新しい仕事が引きもきらず、先代とともに毎日工場で汗を流す。職人は田中親子のほかに5年目の職人と50年以上勤めるベテランがいる。
箔押しとは、エンボスをつけて金箔や色箔を入れる仕事だ。革小物のデザイナーがロゴ押しを頼みにきたり、ノートや名刺に社名を箔押ししたり。
箔押しする素材は布に紙に革と、なんでもあり。相棒のプレス機械を操りつつ、細かい調整は手作業で、あらゆる注文に応えていく。
———若いクリエイターやデザイナーとの仕事は、大変といえば大変だよ。みんないい意味で先入観がないから、修業を積んだひとたちや量産メーカーなら絶対に持ちかけないような注文をしてくるの。でも、それでいいんだと思う。安全圏にとらわれていると、斬新な商品はできないからね。それに、「3,000個つくってくれ」と言われたら悲鳴を上げちゃうけど、せいぜい50やそこらなら、「なんとかがんばりましょう」ってなるよ。もちろんちゃんと説明をして、それなりの料金をいただく。「職人仕事は儲からない」なんていうひとは、仕事じゃなくて道楽でやっていると思う。職人といえども、ある程度利益を出して生き残っていくことが大切だよ。
この日、田中箔押所ではノートに名入れをしていた。色とりどりのノートを1冊ずつプレス機に挟み、色箔を重ねると、アルファベットで名前を刻印していく。依頼したのは「カキモリ」だ。2010年に国際通り沿いにオープンした、個性的なステーショナリーショップ。田中さんをはじめ、地元の職人と積極的に組んでオリジナルの文具をプロデュースしている。
ここ10年ほど、蔵前には地元の職人の力を生かして個性的なものづくりをおこなう店やアトリエが増えてきた。「カキモリ」に「m+」、生活用品店「SyuRo」、前編で紹介した台東デザイナーズビレッジを拠点にアパレルブランドを展開する「Romei」、アクセサリーブランド「フィリフヨンカ」……。彼らのクリエイションを支えたり、モノマチ(台東区内のものづくりとまちづくりをテーマにしたイベント。前編参照)への参加を要請され、自身の工房を一般公開したりするなかで、職人たちの意識が変わりつつある。
この界隈の職人たちは、下請け業を基本としているため、これまで自分の関わった仕事の完成形を見ることができなかった。そのため、仕事に誇りはあっても、一般のひとが楽しんでくれるところまでを想像することが難しかった。それが同じ台東区内で製品が販売され、ユーザーの声も直接届くようになった。さらには田中さんのように、新しいものづくりを支え、積極的にクリエイターと関わるひとも出てきた。まだまだ表に出たがらない職人が多いけれど、新たなものづくりを歓迎し、力を貸してくれるひとたちが増えていることは事実だ。