アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#21
2014.09

<ひと>と<もの>で光を呼び戻す 東京の下町

後編 愛着をもって、蔵前に根ざす
4)地図「カキモリのある町」ができるまで

「防人(さきもり)」ならぬ「書き人」で、「カキモリ」。ペンやノートや便せんなど「書く」ための道具に特化した、蔵前の人気文具店である。他にはないオリジナル文具が手に入り、カスタムもできるとあって、今や東京都内はもとより全国からお客が集まってくる。
「カキモリのオープンは2010年。都内のあちこちで物件を探したのですが、蔵前は、通りが広くてゆったりとしているし、浅草と違って観光客はいないけれども、落ち着いていて、家賃も安かった」と、店主の広瀬琢磨さんは言う。
個性的な店の集客に必要なのは、往来のひとの多さよりひとの質である。人通りが多ければよいというものではない。どんなものに興味があるのか、何を求めて歩いているのか。

———このあたりは反大衆化というか、洗練されていてちょっと変わったお店が多かった。今はもうありませんが、タイガービルのアンティークな家具屋さんなんか、すごい素敵だった。あとm+さん、SyuRoさん、それからアノニマ・スタジオさん(暮らしに関わる本を出版しているレーベル)。一店一店ファンがいるところが多く、そういう意味ではうちも目指しているところが近いし、これからこの辺も面白くなるだろうなって直感していました。あとは紙の工場(こうば)が多かったりして、ものづくりのベースがしっかりしている。それを上手く活用してお店をできればいいなと。

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(上)「カキモリ」の店内。扱う商品のほとんどが日本製(下)カウンターのようすは外からも見える。奥にあるのは製本機。ここでオーダーノートをつくる

(上)「カキモリ」の店内。扱う商品のほとんどが日本製(下)カウンターのようすは外からも見える。奥にあるのは製本機。ここでオーダーノートをつくる

店舗物件を探していた広瀬さんが偶然見つけたのが「woodwork」。この店のアートディレクションを気に入り、自分の店も同じひとにお願いしたいと「woodwork」の社長を介して会いに行ったのが、関さんと知り合うきっかけとなった。
関さんは当時を振り返る。

———オープン当時、平日に蔵前を歩く若いひとはほとんどいませんでした。そこでまずこれは、お店に買い物に来てもらうだけでなく、「蔵前に遊びに行く」そこで「カキモリのある町」という地図をつくったんです。

「カキモリマップ」ではなく、「カキモリのある町」というのがポイント。カキモリだけではなく、蔵前の個性的な店や銭湯、神社までびっしりと書き込んだのだ。

———掲載の基準は、「どこのまちにでもあるものは載せない」といった程度の緩いもの。たとえばスターバックスができたから載せようよ、とはならないわけです。一方で、中華屋さんの「幸楽」のような、昔から続いている、いかにもこの辺らしい、それまでは地元のひとにしか知られていなかったような場所は極力とりこんでいく。こういう下町らしさはこのまちの血筋みたいなものですからね。

「書くもの」を扱う「カキモリ」だから、地図も当然手描き文字。細い路地まで記され、そこここに見どころが盛り込まれていて、見ているだけでも楽しくなる。
「カキモリさん自身がつくるのではなく、外部のうちがつくることで客観性が出てきたと思いますし、カキモリさんだけが出ているわけではなく、まち全体が紹介されている。そのことが、この地図を手にしたひとがまちへ来たくなるきっかけになるんですね」と関さんは言う。加えて、関さんが地元出身ではなかったことも、この地図を新鮮なものにしたのではないかと思う。古くから土地に馴染みがあると、新しくできたものや取り壊されたものには敏感だが、昔からあるものは見慣れてしまい、その魅力に気がつかないことも多い。長年メニューの変わらない中華店、体が真っ赤になるほど湯温の熱い銭湯、時代を感じさせる看板のロゴ。こうした「下町の当たりまえ」に光を当てることができたのは、「他の土地の当たりまえ」を知るひとならではだともいえる。

「カキモリのある町」。眺めているだけでも想像がふくらみ、蔵前を歩きたくなる

「カキモリのある町」。眺めているだけでも想像がふくらみ、蔵前を歩きたくなる

広瀬さんには、この地図を近隣の店に、ご挨拶かたがた配ってもらった。いわば名刺代わりなのだが、「カキモリ」だけでなく周囲の店も出ているし、細かい路地も正確に描かれている。これが評判となり、「カキモリ」の名は「カキモリのある町」とともに自然と地元に広まっていった。この地図は累計で8〜9万部刷られ、今や蔵前散策を楽しむひとは必ずといっていいほど携帯している。

———僕はもともとひとなつっこい性格ではないし、どちらかというとひとづき合いは苦手なんだけど、こうしたコミュニケーション抜きにお店はありえないという思いに至ったのは、自分自身が路面に事務所を構えたからだろうと思います。

犬を散歩しながらガラガラと戸を開けて入ってくるご近所さん、残業中に煮物を差し入れしてくれる顔見知り。愛すべきおせっかいな隣人たちが、関さんの仕事のスタンスをゆっくりと変えていったのかもしれない。