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アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#19
2014.07

場の音、音の場

後編 梅田哲也×細馬宏通対談 音とその周辺
5)デバイスを意識させる「中継性」

細馬 梅田くんがときどき使うものに「中継」があるよね。複数の場所でやりとりしたり、どこかで話している声が別の場所のスピーカーから漏れてきたり。今はそういうことをスマホで手軽にできちゃうけど、梅田くんはそういうテクノロジーについてはどう考えてるのかしらん。

梅田 iPhoneってあっという間に、お茶の間のツールになったような気がしますけれどね。とんでもないテクノロジーで、まさに僕らが想像した未来がここにある、ってくらいのものなのに、用途が日常化しすぎていて、もう誰も驚かない。仕組みや構造が裸になってないから、理由もわからないまま、バーチャルな感覚でそのまま受け入れてしまってる。

細馬 この前、映画館に行ったら、映画のなかで携帯電話が出てきて途中で鳴ったんだよ。それもiPhoneのいちばん有名な着信音の木琴の音で、タカタカタタタタタカタタン、って。で、それが鳴った瞬間に。

梅田 みんな探るでしょう?

細馬 そう、すごいよね。少し前にニュースで見たんだけど、ニューヨーク・フィルのコンサート会場で、観客のiPhoneが鳴ったんだって。これがまた例の木琴の着信音だったらしいんだけど、どうやら持ってたひとは止め方がわからなくて、何分も鳴ってたのね。それもマーラーの9番の最終楽章っていう厳粛極まりない曲で、結局オーケストラは演奏を中断しちゃったんだって。で、僕が驚いたのはそのことじゃなかったの。そのメロディはまさに当時の自分が使ってた着信音と同じで、その話をきいたとたん、着信音がまざまざと頭のなかで鳴って、ひとごとじゃないくらいうろえたえちゃった。そしてさらに、その自分のうろたえぶりに戦慄を覚えたんだよね。ある一人のひとがプライベートにこの音好き、と選んだ木琴のメロディがこんなにワールドワイドに、それぞれのひとの注意を動かすデバイスになってる。そのことに誰も疑問を抱かない。

梅田 お坊さんとヤンキーがよく乗ってる、でっかいスクーターがあるでしょう? あれに乗った若者を先日この近くで見かけて、どういうオーディオを積んでいるのかわかりませんけど、J-POPを爆音で流しながら走ってるんです。すると音楽がひゅうっとフェイドアウトして、今度は爆音でiPhoneの木琴の音が鳴って。それで路肩に寄って「はいもしもし」って。

細馬 それすごいね。

梅田 オチにまでなっちゃったあの音。

細馬 ある意味、梅田くんの作品がひとつの極だとすると、真逆の存在がスマホなのかもね。カロリーがすごく高いデバイスで、常に注意を惹きつけられてるんだけど、そのことがほとんど意識にひっかからない。高々と木琴の音を鳴らしてようやくユーザーがはっと意識する。

梅田  iPhoneはわりと作品に使いますけれどね。バーチャルなお茶の間感覚を逆手に取ったりして。音声機能で動作するし、ハンズフリーフォンにすれば無線にもなるじゃないですか。

細馬 梅田くんのスマホの使い方って、ちょっと変わってるよね。ふつうは、できるだけスムーズに双方向通信することを目指したり、デバイスをできるだけ透明にしてユーザーに意識させないことを目指すと思うんだけど、むしろ逆を行ってる気がする。回線が上手くつながらなくて、向こうの映像は見えないけれど、こっちの映像は向こうにだだ漏れ、なんて状況が起こったり。デバイスを介してることを意識させる。「中継性」と言うのかな。

梅田  中継って、当たりまえのように双方向にあると思うから疑問を持たないけど、一方的に投げてるだけだと、それは相手に届いてるかどうかも不確かなわけで。そこに、予想しなかったところからリアクションが返ってきたりすると、伝わり方も含めて想像が深まりますよね。後から時間差で届いていたことがわかるとか。反対に、先に受け取っていたものが何だったのかが後からわかるとか。あと、iPhoneってみんなけっこう持ってて、ムービーがそこそこのクオリティで撮れるから、一斉に撮ると面白いんですよね。同じ瞬間を全員で撮ると、ものすごいバーチャルというか。実際リアルなんだけれど、視点が複数存在するから、擬似体験のような感覚になって。

細馬 ああ、そのわざわざ同じ瞬間をみんなで撮るってのも、デバイスを意識させるね。ふつうは、遠い場所で通信するんだけど、同じ場所でも実はそれぞれ体験されている視覚や聴覚は違っていて、それが「中継」されるという。
最近、うちの両親も年老いてきて、弟も離れて暮らしているから、連絡取るときはFaceTimeを使うんだけど、これ、僕の思っていたのと違う未来だね。昔はもっとビデオカメラみたいな大きなものを使って、お互いの顔を見てるって状態を予想してたんだけど。それがやけに小さいデバイスで、しかも、向こうの顔の横にこっちの顔がワイプで入ってるやん。自分の顔を見ながら話すってのは予想外だったな。あれも、言うなれば同時に2つの視点を鑑賞しながら話しているわけだけど、日常のなかに「中継性」を感じる時間ではあるね。

梅田 お互いに部屋の灯りを消して話してるときに、一方が部屋の灯りをつけると、暗い部屋で話しているもう一方のディスプレイが明るくなって、その影響で相手の顔が見える、という現象が起こるじゃないですか。当たりまえのことなんだけど、そういう単純な仕組みにも感動があるんですよね。