アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#18
2014.06

場の音、音の場

前編 梅田哲也×細馬宏通 対談 展覧会「O才」をめぐって
5)嘘のような、本当のような。象徴的な“うた”を持ち込む

梅田 飛田会館でガイドをしていた松井さん(*1)とは、作品をつくる過程で、このあたりにまつわる本なんかをいろいろ読み漁ったんですよ。本だけじゃなくて、周辺で撮られた映画を観たり、飛田の組合長とか、いろんなひとに話を聞いたりもして。ある本の何頁にこういうことが書いてある、もしかしたらあの場所はこういうことなんじゃないですかね、みたいなことを教え合って。
そうやって調べたり聞いたりしたことをもとに飛田会館のツアーはつくられているのですが、嘘みたいな本当の話がたくさんあって。20年間閉じたままだった金庫の“開かずの扉”があって、開けてみたらなかは空っぽで、仕方ないからみんなでお茶を飲んだ、とか。インターナショナル建築という名称で呼ばれている、とか。

細馬 その、会館の金庫の部屋なるものに、最初に案内されたんだけど、松井さんが「ここ入ってもいいですよ」と言うの。だけど、なんだか薄暗い部屋で、誰も入らない。もしかしたら、入ってもいいですよ、という松井さんの口調が、どこか浮き世離れして聞こえたのかもしれないな。何かこの世にいないひとが言ったセリフのようで。で、結局ぼくは率先して入ったんだけど、勇気を出して入ったわりには、奥には取り立てて何もなくて。暗いだけの部屋で、自分が真に受けたあのガイドさんの声は何だったのかという思いがますます強くなった。その場で発せられたことばというよりは、その場に関する別の場所で生まれたことばだから、微妙にズレていたような気がする。
そのことに象徴されると思うんだけど、終始、世間から何ミリか浮いている言葉の数々だったような気がするね。まぁ、この展覧会全体がどこか浮いてるというか、地に足がついていない、ズレてるところがあるけども。

梅田 うんうん。

細馬 松井さんは確かに、この場所のことを言っているのに、まるでこの場所にいないひとが説明するかのように説明している。幽霊みたいだと思って。それが不思議な感じだった。ツアーの途中で、階段が両側に分かれて、踊り場みたいなところから登っていくときに、彼女は客が使う階段ではなく、逆の階段をタタタタっと登って、うえで待ち伏せていた。映画の『ツィゴイネルワイゼン』(*2)みたいだなって。あれは相当幽霊っぽかった。

梅田 はい。

細馬 でね、ツアーの最中にひとが増えていて。会館の前で待っているときは10人足らずだったのに、スタッフの説明を聞いていると、いつのまにかひとが増えている。わらわらと。なんか、知らないうちに賑わっているんだよね。でも、屋上に行くときには、またひとが減っている。なんだこれは、と。で、その増えてるメンツのなかに私は知り合いを見つけてしまったので……。

梅田 仕込みだとばれた。

細馬 これはどうも、声をかけてはいけないんだ、という感じがして。意識にあんまり引っかからないくらいのレベルでひとが増えて、また減って、ということが行われてるのかなと、そのとき気づいた。これも、いまだから落ち着いて表現できてるけど、あのときは、なんだか賑やかになって、また寂しくなったな、くらいのうっすらとした、無意識のレベルでちらっと引っかかるくらいのレベルだった。そういうことがいっぱいあったね。

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飛田会館ツアー。“開かずの扉”をあける

梅田 その場所の、本当のことを言っているはずなのに、幽霊のような感じがするのは、もうひとつ、あの展覧会に無理矢理持ち込んだ関屋敏子の歌があるかもしれない。
関屋敏子という歌手のSPレコードを、柿本邸の隣りの、腐った空き家の屋根裏でかけていたんです。デビッドも酒屋の倉庫で彼女について話していたり。その場所にもともとある要素で、展示を構成するというやり方が僕のつくり方の基本にあるとして、今回唯一、あの場所とまったく関係ない要素が関屋敏子なんです。彼女はものすごく純度の高い、美しい声を持ったひとで。最初はデビッドに教わったのですが、彼女の歌う「濱うた」という曲が、僕のなかでこのまちとリンクしてしまい、展覧会における、ある種のスコアみたいになってしまったんですね。つながっちゃったんです。なぜかはわからないんです。いちばん最初に僕が感じたあのまちの特殊性みたいなものを、象徴するものになるんじゃないか、という気がして。
かつて異国で録音されて、もう大衆からは忘れられてしまっていたような曲が、たまたま「O才」という小さな網にかかって、現代の山王というまちに流れ着いた。このことをことばでは説明できないのに、スタッフや演者に「O才」でやらんとすることを伝えるのには、彼女の歌を聴いてもらうことがとても有効でした。ここで共有できたことは大きかったと思う。CDの最後にも、「濱うた」をそのまま収録しています。1929年の録音ですが、関屋敏子は、その10年後くらいに、38歳で自殺してしまったんです。彼女の遺言を松井さんがインターネットで見つけて読んだというので、内容を思い出してもらって、これもCDに収録しました。

飛田会館のあちこちを回る

関屋敏子のうたが流れる柿本邸

*1松井美耶子 フリーランスCMプランナー/コピーライター。役者・緑ファンタとして、劇団「満劇」 所属。バンド「猿股茸美都子」ではギター&ボーカルを担当。

*2ツィゴイネルワイゼン 鈴木清順監督。1980年公開。