4)西粟倉村から世界を目指す
家具職人・大島正幸さん2
特にヒノキは、家具業界でも「ヒノキで家具はつくれない」という見解が長らく常識とされていた。
———ヒノキは台湾と日本の福島県以南にしか生えない木なんです。でも、家具は西洋で生まれたものですよね。つまり、ヒノキには西洋家具の素材としての実績がないんです。それゆえにヒノキで家具はつくれないという常識ができた。できないのではなく、やってこなかっただけなんです。もしヒノキの家具ができれば、1本の木を分割して、各部位に異なる付加価値をつけることができるかもしれない。
そんな思いのもと、まずはヒノキの椅子をつくることから取りかかった。しかし、「つくれない」と言われてきただけのことはあり、製作は困難を極めた。
———つくってもつくっても壊れるんですよ。建築物の柱は木材自身の重力で食い込むので、必然的に強度が上がる。でも家具は、接合部の強度が大事であって、重力は関係ない。僕が知る50~60種類の木組みのパターンを試しましたが、全部ダメ。結局、最初の製品ができるまで1年近くかかりました。
ときに試作品の強度テストで自ら椅子を地面に投げつけながら、ときに不安と過労で体調を壊しながら、とうとう「クレーチェア」という椅子が出来上がった。大島さんにしかできない特殊な木組みを使った、女性でも片手で軽々と持ち上げられる椅子である。
———座面もペーパーコードという紙のコードで組んであるんです。だから、素材はすべて木。釘も一本も使っていないので、最後は森林に捨てても100年くらいで土に還りますよ。
最初の商品「クレーチェア」。西粟倉村のヒノキの間伐材を使った椅子で、重さ約3kgと非常に軽い
そうこうするうち、大島さんの活動に興味を引かれたデザインの関係者などが客として工房に直接やって来るようになり、徐々にオーダーメイドの注文も入り始めた。もともとは発注主から「闇夜に浮かぶヒノキ舞台のようなテーブルをつくってほしい」と依頼されて製作した「トリイテーブル」というヒノキのテーブルも、今では工房の代表作として定番商品化されている。
———トリイは鳥居のこと。鳥居をイメージしたテーブルなんです。ヒノキで家具をつくれることを知らないひとは多くても、法隆寺をはじめ、神社仏閣にヒノキが使われていることを知っているひとは多いじゃないですか。だから、「あれ? この感じ、どこかで見たことがあるな」という違和感から入ってもらおうと。鳥居の構造をコピーするのではなく、潜在意識に訴えかける既視感を持たせることで、ヒノキというものに着目してもらいたいと思ったんです。
大島さんの高度な技とセンスが生み出したトリイテーブルは、数量限定で甚太郎ヒノキを使ってつくられることもあるそうだ。大島さんが、工房奥に保管されている乾燥済みの甚太郎ヒノキの板を見せてくれた。
———これが甚太郎ヒノキです。超きれいでしょう? このヒノキを使うことで、延東さんというひとの苦楽を伝えられたらと思ってます。文化って、ひとの苦楽の積み重ねじゃないですか。椅子が椅子として売られてるのって、過去に椅子をつくってきたひとと使ってきたひとがいるから。僕も一生懸命仕事して、次の世代に技術を伝えて、何かお返ししないと。
製材された「甚太郎ヒノキ」。触るとひんやり冷たいのは呼吸している無垢材である証し
目下の悩みは、場所柄、誰も通りかからないし、デザインの情報も入ってこないことだ。自分のつくる椅子のデザインが野暮ったくなるのを感じる時があるという。
———だから年に1、2回は、社員全員で研修旅行に行きます。職人たちがフィールドワークして、ものづくりにフィードバックしている家具工房って少ないので。この間もデンマークで、いろいろな家具メーカーの工場を見学してきました。来年は、カナダと東アメリカに行ってこようかと思ってます。間伐材だからダサくてもいいというのではなく、間伐材でちゃんとかっこいいものをつくりたいんです。これまで、63種類の椅子がかたちになりました。ヒノキを使った家具の技術をためていくこと、お客さんに求めてもらえるものをつくっていくこと、その両方を大事にしたいと思っています。
今では、村の間伐材だけでなく、全国のさまざまな地域の択伐材も使っている。
———西粟倉村の山って、昔はトチがたくさんあって、スミレやサクラも跋扈していたそうなんです。もしかすると、将来的に手元に入ってくるのは、スギやヒノキだけじゃないかもしれない。世界の木材事情も変わっていくかもしれない。そのときのために、いろいろな木で家具をつくる技術をためていきたいと思っています。
その熱意と腕は遠くまで轟き、大島さんのもとには、年間100人以上の若者が働きたいと志望してくるそうだ。工房には、社訓がある。「よく食べ、よく働き、よく笑う」。昼ごはん代は工房が負担し、食事の準備は持ち回り制。必ずみんなでごはんを食べる。
———家具工房ってネクラなんですよ(笑)。特にオーダーメイドが多いうちの工房は、お客さんの気持ちをくみとるのが仕事。なのに、職人は技術だけあればいいなんて、そんなのうそでしょう。うちは、おじぎの仕方まで教えますよ。スタッフは、拡張の家族。家族でないと、一緒にめし食って、苦楽をともにできないし、人間としてお互いを見なかったら、つい無茶させてしまう。うちは定員10人にしようと思ってます。それが食卓を囲める最大限の家族の人数かなと。
大島さんには、柳宗悦の言葉で、好きな一節がある。
———「美しいということを共感して世界平和を求めましょう」という意味の一節があって、すごくいい言葉だなって。ようびという工房の名前は、用いるに美しい、つまり使ってもらって美しいものという意味なんです。世界平和って、力のある誰かがやってくれるもんだと思ってたけど、本当はそんなひと、いないんですよね。家具をつくることで森林をきれいにすることは僕にだってできるのに、誰かすごいひとがやるだろうと言い訳して、逃げ回ってた。そういう恥ずかしいことは、もうやめることにしたんです。
昨年、娘が生まれたことも、きれいな森林を次世代に残すという思いに拍車をかけた。村に定住する覚悟で、一軒家と森林1,000坪も買ったそうだ。もちろん、森林は村に預けている。
———家具をつくることで森林をよくするなんてこと、この村でしかできません。真剣で、かつ楽しい。楽しいことってラクじゃないんですよ。でもやりたいんだから、夢見ちゃったんだからしょうがない。その夢を信じてるひとがいるかもしれないんだから、やーめたって言えない。先日、アメリカの雑誌『TIME』に載りました。一昨年は23ヵ国で作品の発表も行いました。今の目標は、ど田舎から世界の最先端で勝負することです。
村から世界へ。そうはっきり宣言した大島さん。彼ならきっとやり遂げるに違いない。
木工房ようびの大島さんとスタッフの皆さん。帰り際、取材班の車が見えなくなるまで深々としたおじぎとともに見送ってくれた