9)多様性に満ちた森林のような村へ
4月号・5月号にわたり、西粟倉村とその森林をめぐる人々の声を聞いてきた。
取材を終えてまず感じたのは、村役場や森の学校を運営する人々、あるいは企業や就職のために移住してきた人々のなかに、国や行政が何かしてくれるのを待っているひとがひとりとしていないということである。もちろん、村役場は国の補助金や法律を利用しているし、移住してきた人々も行政の支援やその恩恵を何らかの形で受けてはいる。しかし、彼らはあくまで、自分たちで掲げた村づくり、森林づくり、ものづくりの目標を実現するため、能動的にそれらを運用しているのであって、補助金をもらうために百年の森林構想や森の学校、会社や工房を立ち上げたのではない。計画のためにもらう補助金と、補助金をもらうための計画。両者の本質は、似て非なるものだ。西粟倉村の地域づくりやものづくりのあり方は、今後の日本のどの分野においても重要なヒントとなっていくだろう。
なかでも、移住組の若者たちには、自分の目指すものづくりを叶えるために、全体の仕組みを考えるということに長けているひとが多いと感じた。「この村の森林を救おう」という慈善的な態度ではなく、自分の仕事をよいものにするためにはすこやかな森林を維持していくことが必要で、そのためにはどのような仕組みや方法が必要なのか。そんな俯瞰的かつ主体的な問いをひとりひとりが持ち、しっかりと行動に移している。
そして、耳ざわりのよいストーリー性ばかりが誇張され、肝心の商品の質が置きざりにされたものも目立つ昨今の手仕事のあり方を批判的に見つめ、まず自分がつくっているものが本当によいものかどうか、本当に必要とされるものかどうかという点にこだわりながら、ものづくりをしているひとが多かったことにも頼もしさを感じた。
現在の西粟倉村は、多様性に満ちた森林のようだ。ある者はこの地に定住して繁茂することを選び、ある者はこの地に降り立ち、また別のところへ去っていく。絶え間ないエネルギーの循環により多様な生態系を得た森林は強く、一本一本の木を見ても、また全体として見ても美しい。
2058年の夏、百年の森林構想に関わってきたすべての人々とともにヒメボタルを見る会を計画しているそうだ。年齢的にきっと見られないひともいることだろう。「その場合は、ヒメボタルになって出てきてください、と招待状には書くつもりです」と牧さんが笑いながら言っていた。
「森林」対「人間」ではなく、人間もまた、森林の生態系に組み込まれている。そんなイメージを心に浮かべた時、わたしたちの最も身近にある森林は、これまでどのような役割を果たしてきたのだろう。また、これからどのような関係性を築いていけばよいのだろう。街路樹でも、公園の花壇でもいい。まずは自分の暮らす地域の生態系を知ることから、すべては始まる気がした。