1)ヒノキの年輪が語る祖父の思い
山主・延東義太さん1
———これがミツマタ。樹皮が和紙やお札になる木。スギやヒノキだけじゃなくて、こういう草木も植えとけば、雨降りの時期や農閑期の食いぶちになるからちゃんと植えとけよと、じいさんがよく言うてた。
山道が急勾配にさしかかったころ、白いつぼみをつけたミツマタの木を指さし、延東義太さんが教えてくれた。
西粟倉村の影石地区の一角。ここは、村を代表する山主である延東さんの山だ。山主とは文字通り、山の所有者のことである。延東さんの山には、祖父の甚太郎さんから受け継いだ樹齢80〜90年のヒノキの森林があると聞き、ぜひ見てみたいと案内をお願いしたのだ。
まだ雪深い山道を登ること約10分。突然、ぱっと視界が開けた。
———これが、じいさんが植えたヒノキ。みな85年以上になるよ。
空に向かって、胸がすくほどまっすぐに伸びた太いヒノキ。十分に間伐された木々の間にはたっぷりとスペースがあり、自然光が地面いっぱいに降り注いでいる。時折、風も吹き抜けてきて、思わず深呼吸したくなるほど気持ちがいい森林だ。
———木を育てるのに大事なのは、下草刈りと枝打ちと間伐。下草は年に2回、手鎌で刈る。たまに、育ててる途中の苗木も一緒にスポーンと刈ってしまうこともあるけどな(笑)。夏は、はだしで歩けるほど、土がやわらかいよ。
実は、村に取材に来てからも「きれいな森林」と「荒れた森林」の違いが今ひとつわからなかったのだが、延東さんの山に入らせてもらってようやくわかった。通りがかりに見た別の山の森林は、木々がぎゅうぎゅうに密集し、枝や葉もすごいボリュームで重なり合って、奥がまったく見えないほど暗かった。一方、延東さんの山の森林は手入れが行き届き、木々はもちろん、山全体が生命力にあふれ、生き生きとしているのが伝わってくる。百年の森林構想が目指しているのは、まさに前者のような暗い森林を、延東さんの山のような明るい森林に変えることなのだ。もし、村じゅうの森林が延東さんの山の森林のようになったら、どれほどこの村の景色が変わることだろう。
甚太郎さんが植え、延東さんが手塩にかけて育ててきたこれらのヒノキは、森の学校のスタッフなどから、敬意を表して「甚太郎ヒノキ」と呼ばれ、西粟倉村の森林の象徴として大切に扱われている。通常、ヒノキは樹齢50年前後で伐られて住宅の柱にされることが多いため、85年以上も伐られずに育つのは珍しいそうだ。
———あそこに伐り株があるの、見える? あれが去年、学習机ツアーで来た親子が伐ったヒノキ。伐り株に子どもの名前も書いてある。
学習机ツアーとは、森の学校と家具会社「木工房ようび」(後述)が共催する自然体験と木工体験を兼ねた親子向けツアーのこと。体験ツアーとはいえ、木の伐採から木材の組み立てまでを参加者自身が行い、計3回で学習机を完成させるという本格的なものだ。驚いたことに、延東さんは、この学習机ツアー用に甚太郎ヒノキを提供しているのである。
———木には山の神様が宿っとるから、伐る前には必ず御神酒をして、手を合わせて、伐らせていただきます、山の恵みをいただきます、そうお祈りしてから伐る。机が完成したら、伐ったヒノキがあった場所の緯度と経度を書いた修了書も渡すよ」
ちゃぶ台の大きさほどもあるその伐り株の年輪には、祖父と孫が2代にわたり、こつこつと汗水たらして育ててきた年月のすべてが刻まれている。よくツアーの参加者に伐採してもらう決心をされましたね、と言うと、延東さんがこう答えた。
「これも西粟倉の名を広めるためじゃな」
気持ちいいほどすっぱりと言い切る延東さんに、逆に村と森林への深い愛情を感じる。この山を継いだのは、なんと高校生の時だったそうだ。延東さんのその目に、この数十年の西粟倉村は、どのように映ってきたのだろう。