アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#71
2019.04

コミュニティの、その先へ

1 神奈川・鎌倉の民間企業とコミュニティ
4)「いい会社」というフォーマット
——鎌倉投信

鎌倉に拠点を置く企業といえば、もう一社、見過ごすことができない会社がある。
会社設立から10年目に入った、投信委託会社(投資信託の運用会社)の「鎌倉投信」だ。

投資信託とは、元手が少額になりがちな個人投資家の資産を一定数集め、専門家が優良な株式や債券、不動産などに分散して投資することで、リスクを減らしつつ運用する金融商品の一種だ。

投資したひとの資産を増やすことを目的とするので、普通は上場企業全般が投資対象となるのだが、鎌倉投信は「いい会社をふやしましょう」を合言葉に、「これからの日本に必要とされる企業」「持続的で豊かな社会を醸成できる企業」「日本の匠な技術・優れた企業文化を持つ企業」といった独自の基準で投資先を選ぶことで、安心して暮らすことができる社会づくりを目指す金融会社だ。

鎌倉投信が扱うのは、「結い 2101(ゆい にいいちぜろいち)」という商品のみ。1口10,000円から投資でき、投資信託のネックと言われる手数料はなし、信託報酬と呼ばれる運用管理費用もかなり低く見積もられているため、投資の初心者も始めやすい。お年玉で投資している中学生の投資家もいるほどだ。

鎌倉投信のホームページに掲載された投資先のリストを見ていると、「日本にはまだまだ健全な会社があるのだな」と明るい気持ちになる。

そもそも、金融機関でありながら、なぜ金融の中心地である東京ではなく、鎌倉に本店を構えることになったのだろう。
ご多忙のため写真撮影は叶わなかったが、代表取締役の鎌田恭幸さんに話を聞くことができた。

———創業メンバーとどこで起業するかと話し合っていた当時、うちは東京とか大きな駅前のビルのなかではないよな、という話になったんです。自然があって、歴史や伝統があって、古くからあるものを大切にしながら、新しいものに取り組んでいく、そういう文化のある場所を拠点にして活動していけたらいいのではないかということで、鎌倉になりました。武家社会をつくったり、日本で初めて環境保護運動が育った土地ですからね。当時、東京や横浜に住んでいたひとも転居せずに通えるという意味でも、鎌倉という選択になりました。

古くからあるものを大切にしながら、新しいものに取り組んでいく。雪ノ下にある築80年以上の古民家を社屋に構える鎌倉投信が、唯一投資している鎌倉の企業が、カヤックだ。

———鎌倉のコミュニティづくりにおいて、カヤックさんの存在は非常に大きいんじゃないでしょうか。特に、カマコンが大きな求心力になっていると思います。ごく普通のひとが参加して、意見を出し合って、周りがサポートしていくという枠組みを作ったのがカヤックさんです。若いひとやIT系の会社が鎌倉に魅力を感じる理由のひとつにもなっていると思いますね。「つくるひとを増やす」というのが彼らの経営理念で、もともと、ひとを育てる力が非常に高い会社なんですよね。ひとりひとりの主体性を引き出す企業風土が素晴らしいなと思います。

経営理念といえば、鎌倉投信の「いい会社をふやしましょう」という方針も稀有な例だ。
しかし、いい会社の条件を決めると、選ばれなかった会社は悪い会社とはならないだろうか。

———そんなことはないと思いますよ。あくまで鎌倉投信が見る「いい会社」ですから。私たちはこういう会社をいい会社だと思います、という尺度が多様に生まれてくるというのが健全なのかなと思います。ESG(環境・社会・ガバナンス)という評価軸があるじゃないですか。社内取締役が何人いるか、女性幹部が何人いるか、障害者雇用のパーセンテージを守っているかなど、アンケートをとって評価をしていくんですが、そういう見方で評価していくと、似たような会社ばかりが並んでくるんです。指標化することで均一化してしまうんですね。そうじゃなくて、多様な見方が大事。価値観が多様でなければいけないんです。

鎌倉投信では、投資家自身が投資先を訪問する「いい会社訪問」やアットホームな「受益者総会」など、通常の投資シーンでは見られない多様な交流も行っている。なかには投資先に転職してしまった投資家もいるそうだ。
鎌田さんの話を聞いていると、金融や投資も文化なのだなと思わされる。

———金融や経済の仕組みが大きく変わったのは、実は、鎌倉に幕府があった鎌倉時代なんです。年貢を徴収するのに、お米そのものを運ばずに手形で決済したり、労働力を交換するユイ講や、今の信用組合・信用金庫のルーツともいえる頼母子講が盛んになったのもこの時代。一方、それまでは平家がお金を集めて天皇家に貢いでいたけれどもパトロンがいなくなり、困ったお公家さんたちは養ってくれるひとを頼ってあちこちに移動した。そのなかで、鎌倉にも公家文化が伝播した。お金と文化が行き来するような形になったわけです。そういう文化や制度の集積って、その土地で何かをしようとするときに少なからず影響してくるのではないでしょうか。

金融の仕組みが変わることで、お金と文化が交換される。
そんなフォーマットは、はるか昔の鎌倉時代にもあったのだ。

そんな折、鎌倉時代の幕を開けた、かの有名な源頼朝を「頼朝先輩」と呼ぶユニークなひとに出会った。
次号では、NPOというツールを使い、等身大のコミュニティづくりを生み出す人々を取材する。

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上より、鎌倉幕府跡を示す石碑、源氏ゆかりの鶴岡八幡宮、源頼朝の墓から見下ろす鎌倉のまちなみ。まちには鎌倉時代の香りを残す史跡がいっぱいだ。「政治と文化の中心だったまちには、やはり大きな魅力を感じます。もし仮に鎌倉以外で考えるなら、京都で創業するという選択肢も十分ありえたと思います」と鎌田恭幸さん。鎌倉投信の投資先には、実は京都の企業も多い

上より、鎌倉幕府跡を示す石碑、源氏ゆかりの鶴岡八幡宮、源頼朝の墓から見下ろす鎌倉のまちなみ。まちには鎌倉時代の香りを残す史跡がいっぱいだ。「政治と文化の中心だったまちには、やはり大きな魅力を感じます。もし仮に鎌倉以外で考えるなら、京都で創業するという選択肢も十分ありえたと思います」と鎌田恭幸さん。鎌倉投信の投資先には、実は京都の企業も多い

面白法人カヤック
https://www.kayac.com/

鎌倉投信
https://www.kamakuraim.jp/

取材・文:姜 尚美
編集者、ライター。出版社勤務を経て、現在はフリーランスで雑誌や書籍を中心に執筆活動を行う。
著書に『あんこの本』『京都の中華』、共著に『京都の迷い方』(いずれも京阪神エルマガジン社)。

写真:長野陽一
写真家。1998年、沖縄・奄美諸島の島々に住む10代のポートレイト写真「シマノホホエミ」を発表して以来、全国の離島を撮り続ける。2001年に写真集『シマノホホエミ』(情報センター出版局)、2004年に写真集『島々』(リトルモア)を上梓。2012年には島に暮らす人々を海の中で撮影した写真集『BREATHLESS』(フォイル)を出版。現在、北鎌倉在住。