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アネモメトリ -風の手帖-

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#70
2019.03

スローファッション新世代

後編 ファッション編
2)生き方を見直すきっかけとなった震災 iai 居相大輝さん(2)

こうしたライフスタイルを選んだきっかけは東日本大震災であった。
居相は福知山市夜久野町に育ち、少年時代から服に関心はあったが、消防士として働くために上京する。配属先が渋谷となり、休日に好きな服を着て原宿を出歩くと、当時盛り上がっていたストリートファッション・ブームもあって、ストリート雑誌によく取材・撮影されるようになったという。
東京の自由さに魅せられた居相は「自分でもつくれるんじゃないか」と考え、服をリメイクするためにミシンを購入。専門学校の夜間コースで服づくりを学ぶことも考えたが、消防士という仕事の性質上それも難しい。そんなとき「変な学校があるよ」と紹介されたのが、「writtenafterwards」の山縣良和が2008年に設立したファッションスクール「ここのがっこう」だった。生徒のクリエイティビティを伸ばすことを重視して、これまで多彩な人材を輩出してきた学校だ。そこに半年間通って、さまざまな出会いや刺激を受けるなか、手づくりブランド「nusumigui」デザイナー山杢勇馬と知り合い、仕事を手伝うことになる。震災はそんな彼の世界を大きく変えた。

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———僕はレスキューで仙台に派遣されたんですけど、直接目にして感じることがあったんです。それまでも消防士の仕事をしていて生と死についてすごく考えさせられて、現場で亡くなられている方を何人も見ていますし、それもあっての震災だったので、骨身にこたえた。「いつ何が起きるかわからない、という大前提のもとで生きよう」と。そして、思い出したのが自分の故郷である福知山市の風景です。その後消防士を辞めて、自分の故郷の方に帰り、古い家を借りるんですけど、好きな服づくりで食べていけたらいいなというよりも先に、まず家を直して畑をするっていうことが頭に浮かびました。今も脳裏に震災の恐ろしさが浮かぶというわけではないですが、このように服づくりを始めたのは震災がきっかけでした。

福知山に戻った居相は大江町で畑をしながら、服づくりを開始。岐阜、福岡、益子など各地で個展を開いて販売してきた。会場は服屋よりギャラリーや古着屋が多いという。彼の服をきちんと理解しているひとのところで売りたいので、自ら全国に出かけていく。「僕がその場所に出向いて空気を感じて、ここで服を見せたいなっていう思いがあるところでやってます」。

売上げは好調で、「自分でもびっくりするくらい」。自分と家族でやっていくことにこだわり、卸売やビジネス拡大の誘いは断ってきた。

———畑にしろ布を染めるにしろ、過程を大事にしたいんです。草木染の服をやっていこうってなったときに、いろいろ勉強するのは大事だとは思うんですけど、僕にとっては村の草を自分で刈り取ってきて、川の水を使って、薪を燃やして、草を煮立たせて、そこに布を浸けるっていう行為が美しいのです。そうした一連の流れをいいなあって思えるからこそ続けられているのかなと思います。

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端切れや糸くずを服づくりに利用することも多い / 畑には小さな染物小屋が。栗皮や椿など、庭の植物を草木染めに使用する / 自作の竿で生地を晒す

端切れや糸くずを服づくりに利用することも多い / 畑には小さな染物小屋が / 栗皮や椿など、庭の植物を草木染めに使用する / 自作の竿で生地を晒す