3)「しょうぶスタイル」の発展
福森さんは最初からこのように考えていたわけではない。前編でも述べたように、かつて学園内に工房を設立したころ、決まった作業の訓練をして、健常者と同じことができるよう指導しようとしていた時期もあった。しかし、それが障がい者を健常者の基準に合わせることになると気づいてから試行錯誤を重ね、利用者に自由にものづくりをしてもらうしょうぶ学園独特のスタイルが生まれていく。
福森さんたちの気づきとともに、しょうぶ学園の支援活動は発展を遂げてきている。彼はそれを約10年ごとにステージの変化として描いている(『しょうぶ学園40周年記念誌 創ってきたこと、創っていくこと』より)。
1973年〜 しょうぶ学園創設(教育、訓練)
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1985年〜 工房しょうぶ設立(クラフト)
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1995年〜 芸術推進活動(アート)
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2006年〜 衣食住+コミュニケーション(人と環境)
1985年から従来の下請け作業ではない、クラフト工芸活動を開始、1995年から絵画、造形、刺繍、音楽などの芸術表現活動へと広がり、そして2006年にはキャンパス改装に伴って、ものづくりとひとと環境のつなげる活動へ——。こうして見ると、時代、社会、福祉行政の動きにあわせて、利用者の自立を支援し、社会と多様に結びついていくように、福森さんが学園を舵取りしてきたのがよくわかる。
しょうぶ学園のものづくりのスタイルは、利用者が何をしたいか、何ができるかを見ながら、それをアウトプットへと方向づけていくディレクション力が大きい。生まれてくる作品はアート、クラフト、デザインなどの領域に広がっている。作品と協働のタイプから大きく分類してみよう。
第一に、利用者がこだわりや自己充足から制作する作品。これはいわゆるアート作品であり、利用者の純粋な表現行為から生まれた結果と考えられる。この場合、職員は創作物についての直接的な助言はしないが、本人の適性や方向性を見守り、創作の環境を整えることで、間接的に支援する。ヌイ・プロジェクトは、ものづくりには介入しないが、糸や素材を利用者に合わせて提供していくケースだ。
第二に、あらかじめ製品のかたちや作業が決められているクラフト的な作品。たとえばイラスト入りのTシャツ、実用的な木工細工や陶器などがここにあたる。これは利用者と支援者とで作業を分担し、最終形にむけて生産していくものだ。食の工房でつくられているパン、そば、カフェなどもこのカテゴリーに入れられよう。
第三に、利用者が自由に創作したものに、職員が手を入れてデザインした作品。これは障がい者の発想や手しごとを活かしつつ、職員が商品として仕上げていく。ヌイ・プロジェクトのなかでも刺繍入りのシャツやカバンなど、日常生活でも使えるデザインがある。これはまず既製品のシャツを渡して利用者に刺繍してもらい、できたものを活かしながら、後からデザインを加えていく。利用者の手しごとは日常の用途に向かないところもあるので、職員が加工して製品化をはかるのだ。しょうぶ学園ならではのコラボレーション作品である。
これらの作品は展覧会や展示会において社会に発信、販売されていく。障がい者がつくったからではなく、アートやプロダクトとして魅力的だから求められる——。そのディレクションの確かさがしょうぶ学園の強みとなっている。