1)高知の日曜市
ひと昔前のありようと、他の市との比較と
300年近い歴史があり、年間で80万人が訪れるという日曜市。ピークは戦後まもないころというが、この市に親しんできた地元の方たちにとって、じっさいにどのような存在であったのだろう。また、日本各地で開かれる市と比べて、どんな個性があるのだろうか。
長年、高知を中心に、全国の市を研究してこられた福田善乙(よしお)さんに話を伺った。福田さんは高知市内の出身で、今よりもっと賑わっていた時分の市に通っていた。
———子どもの頃は、市内でも少し離れた地域に住んでいましたが、月に1、2回は市に行っていました。太平洋戦争で両親を早く亡くし、兄弟6人で暮らしていましたので、モノを安く買うことが必要だったんですね。だから、市は生活を支えてくれる場所でした。農作物は畑でつくっていましたから、下着や古着、日用品なんかを買うんです。安価で、古くても清潔でしたから。小学校から高校までずっとそうで。大学入学の時、記念に何か買ってやると姉に言われて、日曜市で初めてオーバーを買ってもらったことは今でもよく憶えています。服に身体を合わせるようにして着ていましたね。
今から60年以上も前、戦後まもないころの話である。食べ物から生活用品に至るまで、すべてが安く手に入る市は、福田さんが言うように、まさに市民の生活を支えてくれる大切な場であったのだろう。
日曜市で農家の方たちは農産物を売ると、そのお金で野良着や農工具などを買って帰ったという。当時はまだ、市のなかで経済が循環していたのである。また、結婚が取り決められることもあったらしい。さまざまなところからひとが集まってくるわけだから、確かにうってつけの場所である。ひとが集まるうちに、新たな結びつきや展開が生まれていく。日曜市は今よりもっと、生活と密接に関わっていたのである。
「古着の筋と新しい商品の筋は分かれていました。古着は多かったですね。あの頃に比べると、衣類、骨董品などの出店はかなり少なくなりました。今は農産物が中心ですから」。衣食住を支え、経済がまわっていた密度の濃い場から、食に特化した、求心力のゆるやかな、楽しみの場へ。時代の流れからして、それは当然だったと思う。
福田さんは、高山、輪島、勝浦、新潟、五城目など、全国各地の朝市にも足を運び、調査を続けてきた。他と比較してみると、日曜市の個性がはっきりしてくる。まずひとつに、開催時間のこと。各地の朝市は午前中かせいぜい午後の早い時間までの開催がほとんどであるのに対し、高知の市は終日開いている。もうひとつは、地元民と観光客の割合について。高山や輪島など、名前の知られた朝市は観光客が多いのだが、日曜市はかなりの規模で、知名度もあるのに、市民の利用が半分以上なのである。
———“地元のひとが自分の生活の一部として市を活用している”とこれだけ感じたのはやっぱり高知の市だけですね。例えば、函館の朝市は種類が分かれています。観光客向け、地元向け、その中間、のように。それが高知の場合ではひとつなんですね。生活と観光の間に境がない。まずは市民に愛されよう、とやっている市です。
観光の市となると、客はよそから観光目的でやってくるわけで、景気の良し悪しに影響されやすくなってしまう。また、地元のひとが市に出てきた時に違和感を持つようであれば、彼らはなかなか戻ってこない。生活とは切り離されたところで、お土産物のように地元の農産物や名品が売り買いされるようになる。出店する側も愛着を持って売るというより、生活費を稼ぐ手段のようになってしまうだろう。
———わたしは日曜市に審議会の委員としても関わったことがあるのですが、「日曜市も生活市である。それをそのまま観光に生かすこと」を中心にしてほしいと言いました。それは今も続いていると思います。そこで地域のひとが交流することで自由な土佐弁が飛び交う雰囲気も生まれてくる。それがまた観光という点でも魅力につながっていくのではないでしょうか。
地元に根ざした生活があって、つくり手が誇りを持って、買い手とモノを介してやりとりする。市はリアリティある、たしかな場所だと思う。
———高知は全国的にみて所得も低い。農産物の出荷額も低いんです。なので遅れた地域だと見られがちです。そういうことは大事かもしれませんが、別の価値観や豊かさがあると思うんですね。
福田さんが言うように、高知には人間らしい楽しみや豊かさがある、と市を見ていて実感するのだ。