2)始まりは大学の課外授業
1978年新潟市生まれの2人は、高校生の頃、美術大学受験のための予備校で出会った。その後、山形県にある東北芸術工科大学の生産デザイン学科(現プロダクトデザイン学科)に進学。授業もアルバイトも一緒で、今や過ごした時間は家族よりも長い。
大学3年生の時、2人は所属ゼミの三橋幸次教授が開催した、課外授業の産学共同ワークショップに学生スタッフとして参加する。そのワークショップは、1年かけて企業と学生が共同で商品開発を行い、そのサンプルを学内で展示するというものだった。
ワークショップには、景気低迷の中、不安定な下請け受注に頼ることをやめ、自社で商品を企画できる力を身につけたいと願う、山形の製造業の中小企業10数社の社長が集まった。そのなかのひとりが、のちに「HOUSE doggy mat」を一緒に開発することになる、穂積繊維工業の故・穂積寛光社長(2010年に逝去)だった。
———ワークショップを進める中で、麻とウールを使ったマットを企画したい、という提案がまず穂積社長からありました。緞通(だんつう)(*)の製造工場である穂積繊維工業さんは、それまでずっと、ホテルのロビー絨毯などの大口の仕事を中心にされていて、個人住宅向けの小さなマットはほとんどつくっておられなかったんです。そこで、毛羽の出ない、価格帯もおさえられる麻の緞通を開発された。でもそこからどうしていいかわからない、という状態でした。(星野)
そこで五十嵐さんと星野さんは、まず穂積繊維工業の工場を訪ねることから始める。フックガンという機械を操り、みるみるうちにマットを織り上げる職人たち。2人にとっては、初めて学外に出て、ものがつくられていく現場を目の当たりにした瞬間だった。そして、すばらしい技術があるのに需要がどんどん減りつつあるという、現場の抱える悩みの切実さを肌で感じた機会でもあった。
「作品」ではなく、「商品」をつくらなければ。そう感じた2人は、当時、街で流行っていたドッグショップに目をつける。ペットグッズにお金をかけるひとが増え始めていた頃だった。そこで、飼い犬の居場所となるような、ペット用マットとして営業できるような商品がつくれないかと考えたのだ。
———ベースは麻のループ織、犬のモチーフはウールのカット織で立体的に浮き上がっているようなデザインを考えました。犬のモチーフはわたしたち2人のそれぞれの飼い犬がモデルです(笑)。五十嵐が何度もパターンをひき、型をつくりました。(星野)
技術と用途を見事に融合させて出来上がったサンプルは、ペット用としてはもちろん、自分たちもルームマットとして使いたくなるような、魅力的なものに仕上がった。それは、店に並べても十分通用する“商品”になり得ることを意味していた。
マットは晴れて、学内に展示される。しかし、それで終わってしまった、とも言えた。
———結局は、商品として流通しなければ世の中に伝わらず埋もれてしまうわけで。わたしたちもまだ学生だったので販売することもできず、心残りでした。(五十嵐)
そうして五十嵐さんは就職活動へ。星野さんは留学でもしようか、と考えていた。
*中近東から中国を経て日本に伝来した、ウールの高級敷物。