アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#58
2018.03

これまでと、これからと 2

2−2)地域づくり 未来を見すえ、自ら動く
100年を考える 岡山県西粟倉村
(岡山・西粟倉村 ものづくりから始まる森林づくり、村づくり#16#17

岡山県の林業の村、西粟倉村。村の95%は森林という山深い地域だ。木を育て、森を育てるには長い時間がかかる。この村では、100年というスパンで森林の将来を見すえたプロジェクト「百年の森林(もり)構想」を掲げ、ここならではのものづくりと地域づくりを進めている。それもあって、若い世代の起業も他の地域に比べて先行してきた。

2004(平成16)年。「平成の大合併」に際し、当時の村長・道上正寿さんのもと、村は合併を拒否して、自立の道を選んだ。「規模を求めない村づくり」という考えのもと、道上さん以下、村役場や森林組合の職員などが中心となって、森林を生かした村づくりの模索が始まった。
必要なひと、もの、ことを見きわめるなかで、道上さん、当時の村役場の総務企画課長・関正治さん、そしてシンクタンク「アミタ持続可能研究所」の所長だった牧大介さんたちが中心となり、「50年前の村民たちが子孫のために植えてくれた木を、あと50年育て続け、100年続く森林にして再び子孫に残す」という「百年の森林構想」が生まれたのだった。
間伐材を使ったものづくりを通して、村と森林両方の再生を試みるプロジェクトは、立ち上げのメンバーから、次世代、次々世代へと受け継がれる息の長い試みとなる。関わる人々は、そのことをやり抜こうと態勢を固めてきた。人材を揃えて資金を調達し、2009(平成21)年には運営の拠点となる地域商社「株式会社 西粟倉・森の学校」(以下、森の学校)を設立する。地域の資源を活かした商品開発や販売を行うことを目的に、原木の調達から製材、乾燥、加工から販売までの機能を担う会社だ。代表は牧さん。もともと、期間限定のコンサルとして村にやってきたはずが、森林組合の職を辞し、園児向けの木製家具・遊具の製作会社をひとりで立ち上げた國里哲也さんのすがたに心を打たれて、この村に今も居つづけ「百年の森林構想」を進める主要なひとりとなっている。牧さんは言う。

———小さな場所で、小さなチャレンジをつみ重ねていけば、何とかなる地域はまだまだあると思っています。ただ、単発のチャレンジに終わらせないためには、行政の力も必要になってくる。西粟倉の場合は、当時の村長だった道上さんがすべて僕らにまかせてくれたことが非常に大きかったと思います。でもやはり、何もかも投げ出して俺がやるんだと始めた國里さんというひとが、行政や僕らを動かしたんだと思う。こんなことができるんじゃないかな、と思いを持っているひとが一歩踏み出すこと。それが、その地域の今後を左右すると思います。

牧さんたちは、地元のひとりひとりに向き合いながら、西粟倉で何が、どんな文脈で大事にされてきたか、「西粟倉の物語」を拾ってきたそうだ。その姿勢から生み出された「百年の森林構想」は、地元民に、そして移住者にも理解され、「自分ごと」として受けとめられる。ひととひとが連携し、地域でものごとを動かすなかで、100年という長いスパンのプロジェクトは、世代を越えて、受け継がれていくのだろう。

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廃校のまま保存されていた影石小学校を利用した森の学校オフィス

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(上から)山主・延東義太さんが祖父の甚太郎さんから受け継いだヒノキたち / 牧大介さん / 廃校のまま保存されていた影石小学校には、エーゼロ(株)の運営でローカルベンチャー企業のオフィス、ショップ、カフェなどが / 森の学校の木材加工工場では、木工にたずさわるひとのために木材を製材し、販売する