アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#54
2017.11

まちと芸術祭

2 札幌国際芸術祭2017の公式ガイドブックを片手に(第2日目)

インスタレーションのマテリアルとして、「ピアノ、MIDIピアノ、ソレノイド、スピーカー、碍子、鈴、街路灯、電磁石、アンプ、磁石、セメント、鉄、iPod、アンテナ、ロール紙、ファン、電球、ケーブル」が毛利悠子のウェブサイトに挙げられている(インスタレーションの動画も見られるので是非見てほしい)。これらはすべて、北海道で出会ったものだという。このスカイウェイには「鈴」から「街路灯」まで、大小の「マテリアル」が集合、もしくは点在しているわけである。歩行の妨げにはならないが、例えば電磁石によって起こる小さな運動が、鈴の音を鳴らす。ひとは、近寄って、足を止めるだろう。自然に、息もひそめて見つめてしまうことになるだろう。自動ピアノの「演奏」や、点灯している街路灯などを見上げ、歩いては立ち止まる。磁力の「奏でる」鈴の音に耳をすます。もっと小さな、振動だけの音も、聞こえてくるに違いない。立ち止まってしか、聞くことができない音がここにある。ある絶妙な均衡の上に、このインスタレーションはある。

「廊下」の壁側に仕掛けられた鈴

「廊下」の壁側に仕掛けられた鈴

立ち止まる。
この作品で「立ち止まる」は重要だ。写真にはまったく写ってないが(当たり前だが)、会場には音が流れている。鈴や振動だけでなく、坂本龍一の奏でる音、カミーユ・ノーメントによる砂澤ビッキの詩の英訳の朗読などが絶えず聞こえている。
会場で配布されるプリントには、「エコーがかかったサウンドが、やがてフォーカスを合わせてゆく様を感じ取ることができるでしょう」とあり、前出のウェブサイトの文章には、やや踏み込んで、「エコーがかったサウンドがやがてフォーカスを合わせ、ある一点においてエコーが完全に消えるのを感じ取ることができる」と書かれている。このスカイウェイという「廊下」の、端と端で、向き合ったスピーカーから音は、少しズラして流れている。一方が、他方よりもわずかに遅れて音を出しているために、その音を聞きながら歩くと、「ズレて」聞こえる。エコーを感じるが、廊下の中心からズレたある地点でその音のズレは解消し、響きは止まる。音の均衡がとれるためである。その時、ひとも歩くのをやめて立ち止まっている。あるいはひとは、歩きながら音のズレ、「音速」を感じ取っている(これは作者に直接聞いた上でのことだが、私の理解は正確ではないかもしれない)。音の均衡を感じて立ち止まる時、ひともまた「マテリアル」の一部になっている。
スカイウェイは、密閉空間である。外はよく見えるが、窓は開いてない。だから風は吹いていない。スカイウェイは、空中に浮かんだ空虚な細長い、文字通りの閉じたからっぽの「空間」である。しかし、毛利悠子のインスタレーションによって、風ではないが、風のようなもの、音による「そよぎ」が、スカイウェイという「道」を通り抜ける。もちろん、その時、人間の耳(の穴)もその「道」の一部になっているだろう。