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アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#53
2017.10

まちと芸術祭

1 札幌国際芸術祭2017の公式ガイドブックを片手に(第1日目)

ガイドブックをしっかり読んでなかったわけだ。現在開催中の展覧会は「こどものための三岸好太郎展 つくって、発見! なぞの画家パパミギシ」だ。
前者と同じ「開館50周年記念」の展覧会ではあるが、「札幌国際芸術祭2017公式プログラム」ではない。この展覧会は、三岸好太郎の色や塗り方、モチーフ、構図など、絵から浮かび上がる8つの「なぞ」を、作品を見ながら見つけていく。「なぞ」に対して安易な「こたえ」を用意せず、「なぞ」と向き合うこと、つまり、「見ること」の面白さが自然と感じられるように構成されている。三岸の長女、陽子ちゃんの案内というシチュエーションで、子供にも伝わりやすいように、やさしい言葉で解説し、導いていく、良質な展覧会である。
私達は、絵と向き合うとき、そこに「なぞ」があることを忘れがちだ。絵を見ることにいつの間にか慣れてしまって、短時間で「わかった」つもりになる。まるで交通標識のように一瞥するだけだったりすることもしばしばだ。
でも、絵には「なぞ」がある。いや、絵は「なぞ」そのものとして、そこにある。
例えば、この「パパミギシ」展でも展示されている「赤い服の少女」(1932)、この絵の魅力はなんだろう。

左は三岸作品最大の「道化役者」。右端が「赤い服の少女」。照明がユニークだ

左は三岸作品最大の「道化役者」。右端が「赤い服の少女」。照明がユニークだ

「赤い服の少女」部分

「赤い服の少女」部分

イラストのような簡略さ。塗り残し、絵の具のはみ出しがあるにもかかわらず、これで十分と思わせる不思議さ。ほとんど赤っぽく描かれているのだから、写実ではないが、実際にこんな子供が絵筆を握った画家の前にいたと信じられる(目を赤くはらして)。そして、実際に「こんな子供」はいた。
「パパミギシ」の友人の画家、本間紹夫の次女がこの絵のモデルだ。キャプションの解説によれば、このモデルの少女は「今でも札幌に住んでいて、よく美術館に来てくれる」。この言葉を読んだとき、ちょっとした驚きを感じるだろう。戦中にその活動を終えたはずの画家が目の前でよみがえったような、大げさに言えばそんな感じだ。札幌のどこかに今もこの「少女」がいる。その「少女」が度々この場所に立っている。三岸好太郎に代わって、今はもうかなりの高齢のはずの「少女」の存在が、この絵と、画家と、画家のアトリエを模したこの美術館と、私達とを、近づけてくれる。

すぐ近くに北海道立近代美術館がある。
ここは前回の札幌国際芸術祭では会場になっていたが、今回は、違う。ゴッホ展と、コレクション展が開催中である。このコレクション展「北海道美術50 名作の秘密を探る」が面白い。膨大な収蔵作品から学芸員が手分けして、北海道出身、もしくはゆかりのある画家、彫刻家のおすすめ作品を50点選ぶというものであるが、全部読んでいると日が暮れるほど、1点ずつに丁寧な解説が付されている。

コレクション展入り口付近。作品ごとに詳細なキャプションが付いているのがわかる

コレクション展入り口付近。作品ごとに詳細なキャプションが付いているのがわかる

明治生まれの洋画家木田金次郎の絵も、解説がなければ、その感想の内容は異なるだろう。
木田金次郎は1954年の「洞爺丸台風」による火事で油彩やデッサンなど1600点に及ぶ自作を焼失している。だから、つまり、展示されている絵は、その「衝撃」の後に描かれたものである。青空文庫で有島武郎の代表作『生まれ出づる悩み』の冒頭を少し読めば、絵を見てもらいに現れる「少年」が登場するが、17歳のときの木田金次郎がモデルである。札幌に居を構えていた有島に「絵を見てもらえますか」と「ありったけの絵を抱えて」訪問したことから始まる交流が、彼にこの名作を書かせたとも言える。パパミギシによる「少女」と同様、この「少年」もまた実在したわけである。展示されている「青い太陽」(1955)は自作を焼失した直後の作品であり、すでに60歳を超えた男であるが、やはり、小説の中の「少年」の、絵をたくさん抱えた姿が、絵と私達の距離を埋め、ずっと近づけてくれる。