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アネモメトリ -風の手帖-

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#52
2017.09

横道と観察

後編 細馬宏通 × ほしよりこ 対談 
7)新しい描き方の発明
「絵とセリフは同時です。スケッチみたいに」(ほし)

細馬 1ページのなかにコマがいくつか配置されるっていうのは、『逢沢りく』でだんだんつくっていったリズムなのかな? 『猫村さん』の場合だと、本の上では1ページ2コマだけど、もともとのweb上では1コママンガですよね。

ほし そうですね。『逢沢りく』の前に『オール讀物』で描いていた「へび」と「団地妻の喜び」っていうマンガがあって、その2つもA5で同じやり方をしていますね。

細馬 (1ページの基本構成を)3段にすることによって、『きょうの猫村さん』とかと比べてセリフのリズムは変わりましたか?

ほし 変わりますね。やっぱり流れが変わっていくから、区切りがないし、動線が変わるような気がします。

細馬 真ん中を抜いたり、あるいはセリフを増やしていったりとか、だんだんクレッシェンドになってとか、ページのなかの流れをつくるにはいくつかやり方があると思うんですけれど、そういうセリフの波のようなものも1ページに向かったときに大体こうなるの?

ほし 描きながらですね。絵とセリフは同時やから、「こんなこと言ってる」って思い描きながらわーっと描く。同時なんで。

細馬 同時っていうのが想像つかへんねんなあ。「ペン入れ」って概念がないのよね。ふつうのマンガ家さんとそこが違うよなあ。

ほし 例えば細馬さんが「想像つかへんなあ」って言ってるところをスケッチしてる感じで。絵にしたときには声も一緒のものやから、それをわたしは別々のものにはしないです。

細馬 作詞と作曲をいっぺんにやるような感じやね?

ほし そうですね。歌いながら考える。(セリフを)言ってるシーンを頭に思い浮かべてるから、たぶんちょっと先にも進んでるんですけど、それを追いかけて描いている。

細馬 でもそれは、ちょっと先であって、5、6ページ先ではない。

ほし そうですね。まあ、ここに行ってあんなことしてっていうある程度の話の流れっていうのはあるから。

細馬 ほんまに世のネームに苦しんでるマンガ家さんと比べたらまるでメソッドが違う。
話を聞いていると、マンガの描き方を発明したような感じですよね。新しいマンガの描き方っていうか、力。マンガを描こうとするひとって、昔だと、さあまずGペンを買いましょう、手塚治虫の『マンガの描き方』を読んでケント紙を買いましょう、コマ割りはこうしましょうとかいうところから始めたり、最近だとSNSで情報交換したり、マンガ専用のソフトウェアにコマや吹きだしのツールが一通り入ってるのを通してマンガのシステムに知らず知らずのうちになじんでいったり、とにかくみんな始めからコマ割りと吹きだしをかっちりやる。でも、ほしさんは全然その感じがないねんなあ。そもそも昔からマンガは描いてたんですか?

ほし 描いてましたね。小学生のころからノートにずっと描いていて、友達と交換したりだとか。定規を使って箱を描いてっていうのをやってたんですけど、じゃあいざマンガ家になる、Gペンで、って試したことがあるんですけど、すっごい時間がかかるし、汚すし、内容があるのにいつまでも追いつかない。いつまでもこの四角のなか。それはそれでやらないといけないものだと思っていたんですけど、紙に鉛筆でばーっと描くんだったらいくらでも描ける。
で、美大だったときにみんなが制作している部屋で描いて、コピーして配ってみんなで読んだりとかそういうことをしていたんですね。それだったらいくらでもできるし、まわりも「面白いから応募してみれば?」とか言ってくれるんですけど、いざ描くと手が止まる。ずっとその繰り返しで、なかなか難しかったんですけど、たまたま見つけて面白がってくれたひとがいて、Webで連載していました。
多分それが大きいですね。紙になったらやっぱりその手順を踏まないといけないって言われただろうし、わたしももうちょっとそれを認められていたら、出してもらうためにそれをがんばったと思うんですよね。でもWebだから、それを言われなかった。軽くスキャンして、JPEGの画像として載せればいいからって。

細馬 なるほどね。それと関係あるのかどうかわからないけど、僕は「これはどこが舞台ななんやろ? 今どこにおるんやろ?」っていうのはすごく思って。やっぱり背景がないことが大きく関わっていると思うんだけど、ちょっと浮世離れした感じがするのね。物語自体は地に足が着いてるんやけど、空間はすごい夢のなかみたい。しかも場面も背景が変わらないまま飛ぶし。この話から話へぴゅっと飛ぶ感じって、ちょっと夢っぽいなって思ってるんですね。
それはほしさんのいろんな作品から感じることですけど、『逢沢りく』もすごく夢っぽい。ストーリーはものすごくしっかりしているのに、どこか夢でみたような話かなって感じがずっとしてますね。そこがやっぱりちょっと特別。鉛筆ということも含めてなんでしょうけどね。

ほし 消せますしね、鉛筆って。わたしの印刷していない原画は消せますから。ふつうのマンガの原画はペンだから消えないじゃないですか。やっぱり消せるっていうことが、そういった儚さをもっているのかもしれませんね。

細馬 ペンは消せないから、清書感あるよね。鉛筆の清書感のなさというか、このスケッチ感はそこからくるんでしょうね。この本を放っておいたら、勝手に書き足されていくんちゃうかなっていう、そういう感じがありますよね。次開いたら違うことになってる。そういう可変性っていったらいいんかな。まだこの先生まれたり消えたりするのかなっていう、この線がね、そんな感じがしますね。

ほし 全編クロッキーみたいな。素描っぽい感じで。わたしはそういうふうに思って描いているから。

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(上)ホソマさんの「これは」というシーン。上のコマは家のなかなのに、このコマで線一本で外だと示してあるところ。「ほんとにびっくりした」(ホソマ)(下) ほしさんはごく稀に、フレーズを思いつくことも。時ちゃんのお母さんと女医さんの会話は「絶対これを言わせたい!」と浮かんだもの

(上)ホソマさんの「これは」というシーン。上のコマは家のなかなのに、このコマで線一本で外だと示してあるところ。「ほんとにびっくりした」(ホソマ)(下)絵とことばを同時にすすめるほしさんだが、ごく稀にフレーズを思いつくことも。時ちゃんのお母さんと女医さんの会話は「絶対これを言わせたい!」と浮かんだもの