前号では、北海道・東川町が「写真の町」づくりを始めた経緯を紹介した。写真の町は、一過性ではなく、通年で人を呼び込む「まちおこし」を狙いとして1985年にスタート。当初は国際的な写真賞の授与とその祭典を中心とする事業で、住民の理解を得るのに時間がかかった。
しかし、1994年に高校写真部の全国大会「写真甲子園」が始まると、住民と事業との接点が生まれ、理解は徐々に広がっていく。試行錯誤を経ながら「写真の町」はまちづくりの根幹へと位置づけられ、2000年代以降は行政施策にも浸透。「東川らしさ」を形づくる基盤となった。それが移住者を惹きつける要因ともなり、その影響は現在まで及んでいる。
2000年代以降の経過に触れる前に、本号では時間軸をいちど現在に移してみたい。東川町の文化によるまちづくりは、現在、どう“成っている”のか。
その象徴的な存在が、複合交流施設「せんとぴゅあ」だ。「せんとぴゅあ」は町民公募で選ばれた名前で、セントラル(中央)とピュア(清廉)にちなんだ造語だという。「複合交流施設」という聞き慣れない言葉があてられているが、この表現こそが、町の文化の営みを象徴している。今号では、町のど真ん中にある文化拠点「せんとぴゅあ」を巡りながら、現在の東川文化の姿を見ていきたい。







