4)文化的景観 資本主義のジレンマ
——そもそも文化的景観という概念は、どういう理由で、どういう問題に対処するために考案されたものなのでしょうか。
文化財保護法では、「文化的景観」を、「地域における人々の生活又は生業及び当該地域の風土により形成された景観地で我が国民の生活又は生業の理解のため欠くことのできないもの」としています。
日本で文化的景観を文化財としてとらえることになった背景の一つは、国外の動き、特に世界遺産の文脈があります。世界遺産は自然遺産と文化遺産に大きく分かれていて、自然遺産では、人の手が加わっていない原生的な自然を評価します。対して文化遺産は、人がつくったもので、歴史や芸術の観点から際立っているものが評価されます。つまり、自然と文化が別々に扱われてきたわけです。
しかし、例えば、ピーターラビットの舞台にもなったイギリスの湖水地方の風景って、みんなが大事だなと思うけれども、原生的な自然でもないし、かといって、モノとしての顕著な価値があるというわけでもない。自然と文化の中間領域にある、人が自然と関わりながら形づくってきた暮らしの場そのものが大事だけれども、それを遺産として捉える概念がなかったのです。それも文化遺産の一つであるということで、1992年に世界遺産に「文化的景観」の概念が導入されました。
もう一つの背景には、国内の動きがあります。生活様式の変化や地方の過疎化などから棚田や里山の荒廃が起きて、1990年代に入ると、その保全の動きが各地で活発になりました。そうしたものを日本でも遺産として大事にしていかなければならないと、2004年に文化財保護法が改正されて、文化的景観が文化財に位置付けられたのです。
——それから20年経ってみて、今はどういう状況にあるとお考えですか。そういう捉え方は浸透したのでしょうか。
暮らしの風景が大事であるという見方は、オーソライズされてきたよう感じています。それは文化的景観という文化財の成果ではなくて、日本全体でそういうものがどんどん失われていくなかで、大切さが認識されてきたというほうが正しいと思います。
ただ、文化的景観は、棚田や茶畑といったわかりやすいものだけではなくて、暮らしが立てられている場所であれば、どこでもあり得ます。自分たちが暮らす土地の風景をどう理解するかというアプローチの問題なので、それが浸透しているかというと、そこまでたどり着いていないのが実情です。
——そのほかに課題はありますか。
京都でいえば、山全体が宇治茶の茶園になっていたり、山頂まで北山杉で覆われていたり、そうした風景は視覚的にわかりやすいですよね。綺麗だなと思うけど、ではその姿を疑問を持たず愛でていいのかという問いもあるわけです。
北山杉でいえば、第二次世界大戦後の高度経済成長からバブル経済期にかけて、北山杉の床柱のある戸建ての和風住宅がステータスとなりました。そのため、京都市北部の生産地では、本当はスギの生育に適してない場所も含めて、山全体が北山杉の植林地になっていった。しかし、バブル崩壊とともに需要が減少していき、管理ができない山が出てくる。以前は薪炭林やアカマツ林、蓄財としてのヒノキ林といったように多様な山でしたが、スギだけの単一の山になっている。でもそういう風景ってわかりやすいですよね。
京都府南部の宇治茶の産地も同じです。昭和30年代以降、茶業の機械化が進むのと同時に、重機によって茶園が造成されるようになり、山林がどんどん開墾されていきました。それは、燃料供給地としての里山が不要になったことと直結しています。そうして今、山全体を開いた山なりの茶園を見ることができて、観光の目玉になっている。この姿を評価するのが本当にいいのか、悩ましいです。
画一的な風景って、資本主義経済がつくってきたものですよね。暮らしを立てるための多様な生業から、利益を出すためのビジネスに変わってきた中で生まれた個性的な風景を、どこまで大事だと言っていいのか。土地の人たちが生きるために、暮らしを豊かにするために必死でつくり上げてきた風景であって、そのことに敬意を払っているので、心が揺らぎます。
——実感も含めて思うのですが、住んでいる人たちも心の中では「これは違うな」って体感していたとしても、生活をしていかないといけないから、それでやっていくしかないという場合もきっとありますよね。
生計の立て方や生活スタイルを変えていかなければ、その土地での暮らしを続けることは難しいです。儲かるときに儲けたいし。しかし、自然の仕組みを尊重しない暮らしや、地域が最も繁栄した時代の特性だけに注目していると、それはそれで限界があるわけです。むしろ今から過去を見通したときに、変化しながらも変わりにくいもの、人と自然の関係や関わり方の知恵をとらえることが、「生きる」では大事だと考えています。