2)アートという営みの根源
ダエロンさんのドローイングは、その親しみやすく詩的な、抽象化の魅力の一方で、ダエロンさんと永井さんによる、京都と水との関わりについての膨大なリサーチやフィールドワークに基づいて描かれている。
プロジェクトが積み重ねてきたリサーチの量と質が具体的な物質として伝わってくるのが、中央の展示壁裏面にある、ダエロンさんによる「リサーチウォール」である。

今回展示されていたリサーチウォールを元に、プロジェクトの最新の出版物である京都の水風景マップ『Water Calling——京都をめぐる水の地図』(Materia Prima、2025年)がつくられ、出版されている
「Water Calling」に限らず、プロジェクトが始まるとすぐに、彼女はリサーチウォールをつくるという。写真、図表、地形図などのさまざまな素材が紙面に貼られ、それぞれの間のつながりが示される。メモや引用、ドローイングも描き込まれている。ダエロンさんのリサーチウォールでは、地形や地層、地下水、景観などに関する学術的・科学的な知識と、民間の伝承や物語が共存しながら、ひとつながりの世界を織り上げている。
とりわけ興味を惹かれたのは、ダエロンさんが、人が水とどう向き合ってきたのかを示す水場の彫刻、伝承や物語、それを描いた絵画など、民間の造形や営みに注目していることである。神社の手水舎にある龍の彫像、想像上の妖怪「鵺(ぬえ)」、屏風絵、水辺の風景や植物を描いたさまざまな年代の絵画の図版が、リサーチウォールには見て取れる。
またあちこちに、ダエロンさん自身が描いたチャーミングな「龍」がいる。神泉苑と龍神の伝承を描いたドローイングを筆頭に、「Water Calling」の随所で、彼女は繰り返し龍を描いている。
古来、東アジアで龍は、水を司る神とされてきた。空を飛んで雲を起こし、雨を呼ぶ霊力があるとされ、祈りの対象となってきた。永井さんにとって、ダエロンさんが龍に注目したのは思いがけないことだったが、水といえば龍だったということを思い出させてくれた。そして、日本人として慣習のようになっている表象について、一歩踏み込んで考えるきっかけになったという。
想像上の動物として神や自然を描いたり、像にしたりすること。旧石器時代の洞窟の壁画以来、人が幾度も繰り返してきたその営みに、アートの源泉はある。そこから遠くまで進んできた現代のアートでは、作品の「新しさ」や市場価値が重視される。しかし歴史を巻き戻してみれば、自然を描き、物語るという目的のなかに、アートという営みの根源はあった。永井さんはこう語る。
「根本的なことを表現したり、どうにもできないことを解決したりするために、先人たちはそういった表象をいくつも生み出してきたのではないかと思います。龍の絵も昔から本当にたくさんの人が描いてきましたが、想像上の生き物なので、何が正解というのはありません。そのようにして何度も描いてきた背景には、必ずしも表現の正しさだけを求めない世界があると思います。描くことで、身体のなかに目に見えない世界をインプットしていくかのような、人間の営みがあったのではないかと思います」