5)社会はみんなが変える
何人か、何組かの実践が目につくようになったとはいえ、現代のプロジェッティスタ的な存在はイタリアでもごく一部だ。しかし、そのような活動が日本にも見られるようになってきた。日本とイタリアでは、行政のしくみの違いや市民意識の程度差、個人主義か否かなど、社会と個人のありかたがかなり異なるから一概に比較できないが、少なくとも、日本にも変化が起こっていることは確かだ。
———(雲仙小浜の)城谷耕生くんがいましたからね。プロジェッティスタに学んだ彼の影響を受けて、日本にも、雲仙小浜や奈良、福井など各地にプロジェッティスタ的に活動している人たちがいて、いいことがオアシスのようにありますけど。
僕が「人間的な」って言っているのは特別なことじゃなくて、ごく当たりまえなことなんですけど、今の日本では当たりまえじゃなくなってきているんですよね。だから、こうして当たりまえのことなんだと言わなくちゃいけない。
身近な環境を変えたいと、社会的な意識を持つ人は着実に増えてきている。そして、多木さんはそういう人たちを勇気づける存在であろうとしている。
———僕の書いた本が誰かの訳に立つとすれば、すでに自分でプロジェッティスタ的なことをやっているけれど、言葉にできない人には役に立つと思うんですよね。ムナーリさんやカスティリオーニさんを通して、自分のやっていることを自覚して「これでいいんだ」とか「こういう意味があるんだ」と伝わるかもしれないし。
多くの人は、まともな感性を持っていれば「この社会はなんかおかしいんじゃないの?」って違和感があるわけじゃないですか。ただ、それをどうすればいいかわからないで困っていたり、生きづらい思いをされている方がいると思うんだけど、実際にこういうことをやっている人がいるよ、と知るだけでもすごい助けになるだろうし。
例えばグラフィックデザインやビジュアルの仕事をしていて、クライアントに頼まれた仕事ではもの足りないと思っている人が、ジャンルカさんやパトリツィアさんの仕事を見て、実は自分たちの持っているスキルでこんなことができるんじゃないか、と知ることはすごく大きいでしょうね。日本にもスキルを持っている人はいっぱいいるから、それをどう使っていくか。
コンピュータをさわれれば、それなりのスキルは持っているわけですけど、それを人間としてちゃんと使う能力があるかどうか、でしょうね。そういうことを学校では教えないし。この2、3年日本に帰ってきていろんな人に会って思うのは、技術を人間的に使えるいい先輩が実はいっぱいいるじゃない。そういう人たちがもうちょっと見えてくれば、若い子たちにとっては明るいパースペクティブが見えるんじゃないかと思うんです。
多木さんはプロジェッタツィオーネをめぐるツアー「移動教室」を企画したり、書籍を刊行するなど、プロジェッティスタたちを日本に紹介しているが、そのさい、彼らが特別な存在だと受け取られないように意識している、という。
———プロジェッティスタたちは確かにみんな素晴らしい人たちだけど、特別な天才じゃないと思うんですよ。ちょっとハンブルってことに意識をちゃんと持てば、そして努力をすれば、ムナーリさんにはなれないかもしれないけど、誰でも自分の分野でそれなりにちゃんとできるようになると思うんです。天才がやってくれなきゃいけないこともあるんですけど、これはそういう話ではないですしね。現代の彼らも天才的にやっているというわけではない。
実はみなさんも本来できる、っていうかするべきことじゃない? というかたちで語る必要があると僕は思っています。
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多木さんは著書の最後に、プロジェッティスタたちの活動は、静かな革命である、と記している。それが「控えめな創造力の本質を守りながら成長するための唯一の道である」と。
社会を変えるデザインには、何も特別な才能や技術が必要なわけではない。それは本来、みんなでするべきことで、誰もができることなのだ。

カスティリオーニさんのアトリエに飾ってあった布絵。カスティリオーニさんと娘のジョヴァンナさんが「バゼッロ」という足台にも子ども用のテーブルにもなる商品に座っている。娘が上段に、父が下段に腰掛けることでちょうど視線が合った。その話を聞いた韓国人の訪問者が、家に戻って自分の母親にその話をしたら、母親がつくって送ってきてくれたという
文筆家、編集者。東京にて出版社勤務の後、ロンドン滞在を経て2000年から京都在住。書籍や雑誌の執筆・編集を中心に、アトリエ「月ノ座」を主宰し、展示やイベント、文章表現や編集、製本のワークショップなども行う。編著に『辻村史朗』(imura art+books)『標本の本–京都大学総合博物館の収蔵室から』(青幻舎)限定部数のアートブック『book ladder』など、著書に『京都でみつける骨董小もの』(河出書房新社)『京都の市で遊ぶ』『いつもふたりで』(ともに平凡社)など、共著書に『住み直す』(文藝春秋)『京都を包む紙』(アノニマ・スタジオ)など多数。2012年から2020年まで京都造形芸術大学専任教員。
山形県出身、京都市在住。写真家、二児の母。夫と一緒に運営するNeki inc.のフォトグラファーとしても写真を撮りながら、展覧会を行ったりさまざまなプロジェクトに参加している。体の内側に潜在している個人的で密やかなものと、体の外側に表出している事柄との関わりを写真を通して観察し、記録するのが得意。 著書に『ヨウルのラップ』(リトルモア 2011年)
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