3)近隣にじわじわ広がる 市民プロジェクト
地区の家から始まった地域の変化は、他の空間にも及んでいる。
たとえば、地区の家近くにある広場。小さいけれど、アレッサンドリアで一番古い教会があって、地域の人々にとって大切な場所だ。ファビオさんたちは、この広場を活用するプロジェクトを住民といっしょにやってきた。ファビオさんは言う。
———駐車場化していた場所を有効に使おう、と。木を植えよう、ベンチを置こうとか案が出て、市にお金を出してもらって、長椅子をたくさん買って広場に並べました。自分たちで昼間置いて、夕方にはそれを片づけて。夏はコンサートなども企画します。それから、広場に来たときにトイレがないとか軽いバールがほしいという話から、レストランをつくることになりました。最初にはなかった計画です。
ファビオさんの話を引き取って、多木さんが持論を述べる。
———いちばん大事なのは、パブリックスペースであること。日本でいう公共空間は、人がつくる場所ではないじゃないですか。そうではなくて、住んでいる人たちが、自分たちが使える場所を自分たちでつくることが大事なんです。
自分たちの場所を、自分たちでつくる。考えてみれば当たりまえの話だが、わたしたちはいつしか、公共の場所は行政がつくるもの、と刷り込まれていないだろうか。広場でゆっくり過ごしたかったら、自分たちで椅子を並べればいい。受け身でいることに慣らされて、シンプルなそのことが、いつのまにか遠のいてしまっている。

住民で委員会をつくって、月1回、広場の運営について話合いをしている。市も良い活動だと認め、前回の会議には市長も参加した
ファビオさんは、パブリックスペースをケアしていくうえで大事なことが3つある、という。
———ひとつには、いろんな人と知り合う。2つ、ただ知り合うだけではなく、仕事をするなど、さまざまなかたちでつながり合う。3つ、その人たちが注意を払ってケアする。ということです。その3つがパブリックスペースを大事にして、住民たちのための場所になる要点だと思います。
パブリックスペースではないけれど、1章で取り上げた商店街の人々も、行政に頼るのではなく、自分たちで魅力をつくりだすべく、ともに動き始めていた。そうして、人々のつながりを人間的なものにしながら、地域とのかかわりが自分ごととなっていくように、ファビオさんたちは動いてきたのだ。じわじわと、根気強く。
彼らのもうひとつの軸は、社会的弱者の生活や仕事を支援すること。家を見つけにくい移民たちのために、家を見つける仲介役となったり、障がい者などの雇用を生みだすカフェやレストランの運営にもかかわっている。
*
広場から10分も歩くと、旧市街の外に出る。ほどなく「菜園」と呼ばれる地区に入った。市の中心部にあたり、広々とした敷地には農園もある。189区画に分けた土地を市民が借り受け、野菜を育てている。プロの農家は借りられない、あくまで市民農園だ。
その奥に2階建てのレストランがある。カジュアルな良い雰囲気で、料金も破格に安く、おいしい。就労しているのは元囚人や障がい者などの社会的弱者だ。この建物は2010年に市が改修したが、しばらく使われていなかった。
———改修されたのに、使われないし、誰も住まない。そうすると、変な人も集まってきますから治安がよくなかったんです。農園もちゃんと管理されていなかったので、治安のためにテレビカメラを設置する予算を、人が来る場所にするために使えたら治安は良くなるというプランを考えたら、市のほうが気に入ってくれて。レストランに必要な設備を用意して、ここを始めることができました。やってるのはお昼だけですが、たくさんのお客さんが来てくれます。冬場でも日に100人から150人、夏は200人から300人にもなります。
わたしたちが伺った日も、多くの客で賑わっていた。安くておいしいという噂を聞きつけ、人々がやってくる。そして、ここで働いているのは障がいがあるなど、社会で働き口が見つけにくい人たちだと気づくのだ。
ランチを食べにいくという日常の行為によって、ふだん接することの少ない人たちを通して、自分たちの社会の一端を知る。働いている側も、労働を通して人とかかわり、賃金も得て社会に参加できる。きわめて自然に、さまざまな人が同じ社会に生きていることが、どの立場からも実感できるのではないだろうか。これこそがファビオさんたちが目指していることだろう。

広々とした店内。壁にはスタッフたちの写真が飾ってある。レストランはファビオさんたちとは別のコーペラティヴァ・ソチャーレ(社会的協同組合)が運営している。夏の夕方には公園内で週1回、ジャズの演奏会が開かれる

広場の前にある「オルト・ゼロ・カフェ」。「地区の家」の運営で、2015年オープンの、地産地消の野菜を使ったビーガンカフェだ。若いスタッフとともに、障がい者なども雇用している