島根県の本州部分から北に60キロほど離れた隠岐諸島のひとつ、中ノ島。その島全体をなす町が海士町(あまちょう)だ。本州(本土)からは船で2、3時間。800年前、承久の乱に敗れた後鳥羽上皇が島流しにされた島だけあって、容易に本土に戻ることはできない隔絶された場所にある。
地理的な難しさもあり、戦後、高度経済成長の時代には、急速に過疎化が進んでいった。1950年は7,000人近かった人口は、2005年には2,500人にまで減った。一時はまちの存続が危ぶまれる危機的な状況に陥った。
しかし、2002年に町長に就任した山内道雄さんのリードにより、行政、町民、そして島外から来たひとたちが一丸となって町を再起させるために奮闘した。その結果、大きな変貌を遂げることになった。島は活性化し、今では多くのひとが移り住んでくるまちになったのである。
「地域活性化」や「移住」といったテーマになれば、海士町は必ずと言っていいほど「成功例」として名前が挙がる。行政やビジネスが一体となり、ある意味、ひとつのシステムとして美しく機能するようになった例、というのが、メディアを通じて外から見ていた印象だった。
しかし実際のところはどうなのだろう。「成功」したと言われながらも、解決されない、あるいは新たに生じた問題があったりはしないだろうか。地域再生の先端を行き、うまく循環しているように見えるからこそ、現状を知るなかで学べる何かがあるのではないか。そう考えて、山内町長はじめ、移住者や元からの島民、Uターン者など、立場の違う5人の方にお話を伺った。
実際に取材に訪れると、想像以上に、外から見る印象と島の現実には隔たりがあるようだった。「挑戦」をキーワードに、海士町の今を見ていきたい。