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アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#133
2024.06

境界をなくす 福祉×デザインの「魔法」

2 まほうのだがしや チロル堂ができるまで 奈良県生駒市
4)ルールを設けない、注意しない。その先の変化

石田さんはこの春休み、チロル堂に子どもたちがひしめき合うのを眺めながら「これは特別なことが起きている」と感じたという。福祉の現場に長年携わってきた石田さんにとっての特別とは、何だったのだろうか。

石田 子育てとか仕事を通じていろんな子どもの居場所を見てきたけれど、違う学校の違う学年の男女がこの距離でひしめき合う場所ってないんですよ。みんな隣が誰かなんて関係ない感じで距離がキュッとなっていて、それができる空間がすごく特別だなと。当初からダダさんが言っていた「できるだけ大人がルールをつくらない」「あまり大人が介入しすぎない」ことがスタッフの暗黙のルールになって、それが浸透した結果、子どもたちがつくったマナーとかルールでここが動いて、大人にいい悪いをジャッジされない場所になってるんだと思いました。

子どもたちに任せれば、気になることも山ほどあっただろう。でも大人はぐっとこらえて注意しない。その状態をなんとか維持するうちに、現場で起きたのは予想外のうれしい出来事だった。

石田 ある日、男の子がYouTubeを観ながらカレーを食べていたら、すぐ後ろでキーボードを鳴らしている小さな女の子がいたんですよ。これはなにか起きるぞ、って思って見ていたんです。でもその男の子は、ため息をついただけだった。普通だったら「うるさいから止めて」っていうと思うんですけど、たぶん「自分がここにいることを許されているんだから、僕も相手がここにいることを許さないとダメだ」っていう気持ちが働いたんだと思うんです。これはすごいことだなって。2年経ってじわじわと「ここでは大人がいい悪いを決めてくれないぞ」ってことが、来続けてくれている子どもたちに浸透して、こんなふうに表現されるんだ、ってひとりで感動していました。

吉田田 石田さんは僕らと一緒にやるってなったときに大分腹をくくっていて、ぶっ飛んだ提案がいっぱい出てくるだろうけど葛藤しながら、それを一緒にやることでこれまでの福祉ではできなかったことができるって思ってやっている。自分の覚悟でもあるから。全部前例がないし答えがないことを、とにかくひとつひとつ積み重ねて、その先に見えた景色だから理解できたんだと思う。突然その場面を目にしても、何も気づかなかったんじゃないかな。

石田 その気づきは、この先すごく活きてくると思っています。私は福祉の人間だから困っている顔の子がいたら声を掛けたくなるし、ケンカが起きたら仲裁してあげるほうが上手くいくはずって思っていた。でも2年かかって、自分のやり方ではないやり方でやる意味をチロル堂で実感して、本当に感動したの。2人は運営側からしたら「それお金にならへんけど?」ってことばっかり言う。「のぼりをつくるな」「看板を立てるな」。飲食店なんですけど?って(笑)

吉田田 福祉的にやるんじゃなくて、コーヒーもカレーもおいしい普通の店にしようって言っていた。ここで出しているカレーは大阪で有名なお店なんですけど、のぼりを立てなくてもここの店は旨そうだと思う人は絶対に来るって信じていたから、コーヒーも大変だけどドリップで淹れようって。

石田 大村(だいそん)くんっていうこだわりの強いコーヒーの豆の職人さんがコーヒーの手淹れを丁寧に教えてくれて、当時スタッフだった子が3人ともコーヒーにハマったんだよね。店主はコーヒーを飲めない子だったし、世の中の大人がみんな大嫌いという女子はコーヒーも嫌いで、淹れる作業になんの意味があるの?みたいな感じだった。でも生きた豆は膨らんでくるとか、味がちょっとずつ変わってくるといいとか、大村くんがすごくていねいに付き合ってくれたの。

吉田田 大村くんは一滴一滴淹れるんですよ。フェスとかマルシェとかですごい行列になるけど、並べば並ぶほど「こんなに並んでくれるんだから」ってていねいに淹れる(笑)。そのぐらい振り切っている人が教えてくれたから、みんなも「コーヒー1杯淹れるのはとんでもないことなんだ」って思ったんやね。

このとき働いていたスタッフたちは、今はチロル堂を卒業し、それぞれの道を歩んでいる。人間関係が苦手だったスタッフは、コーヒーを淹れられることで自信を持ち、不登校の子どもたちと一緒にワークショップをするようになった。引きこもりだった子は大学を受験することにした。就職活動をして東京に行ったスタッフもいる。

石田 最初の頃は暗い顔していた子が、こんないい顔するんだってびっくりした。

吉田田 チロル堂で起こっていたことってまさにそういうことで、スタッフのひとたちもエンパワーメントされていくっていうか。

坂本 スタッフが学びまくるんよね。成長していくようすを見てて僕らもすごく驚いた。そこまで想定していなかったから。

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大人カレーと子どもカレー。大阪市内の有名店のカレーだが、それを前面に出すことなく、口コミで人気メニューに / チロル堂のスタッフたち。皆いきいきとしている