アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#133
2024.06

境界をなくす 福祉×デザインの「魔法」

2 まほうのだがしや チロル堂ができるまで 奈良県生駒市

 

5)大人を巻き込む
意識を変え、参加するところから

この2年で、チロル堂は地域の子どもたちが自然に集まる居場所として定着した。さらにスタッフや子どもたちがここでさまざまな経験を積み、目覚ましい成長を遂げている。快挙としかいいようがけれど、毎月行われる定例会では1ヶ月で話すことがまだまだ山積みだという。現時点でのリアルな手応えとともに、抱えている課題について伺った。

吉田田 いまとなっては、ここが大人の寄付で成り立っていることも平気で言えるようになったけれど、最初の頃は結局ここも貧困や孤独を抱えた人が集う場所やって思われてしまうのが怖くて、駄菓子屋さんだけど、たまたま通貨を使って、カレーも食べられますって前面に出していた。
僕らは本当に子ども食堂だとは思っていなくて、駄菓子屋さんなんですっていうのを前面に押して、たまたま通貨を使ってカレーを食べられるしくみなんですよとしておくことで、困っている困っていないに関わらず誰でもカレーが食べられるし、ここに来ている子たちもカレーを食べるのになんのハードルも持っていない。みんな自由に食べているっていう感じなので、一番いいかたちになったんじゃないかなとは思います。

坂本 少なくとも面白くて来ているよね。

石田 (チロル堂が)大好きだよね。

坂本 そこなんですよ、ポイントが。いかにそういう場所がいまないかってことですよね。子どもが「大好き」って言える場所ってほんまにどんぐらいあんねやろ?って。

石田 これだけ全国に子ども食堂があっても、チロル堂には毎月のように同じような場所をつくりたいっていう人たちが視察に来るんですよ。それに対応していると、この場所を維持継続するために寄付をくださいじゃなくて、なんでこんなに子ども食堂とか居場所が必要な世の中なのかっていう、そっちのほうにすごく意識が向いてきた。

吉田田 地域の人からすると面白い駄菓子屋ができて、山ほど子どもが群がって大成功してデザインの賞とか取ったらしいぞ、一儲けしてるんちゃうか?って思われているようなところもあるけど、酒場で大人たちがお金を使ってくれても全然釣り合っていないのが現状。それは僕らのデザイン不足でもあるけど、地域の大人がまだこのしくみをちゃんと理解していないんだと思う。

石田 みんな問題があったり困ったりしたら、自分じゃない誰かがやるでしょうって思っているんですよ。目の前にお腹が空いている子どもがいたら、自分ができることはなにかってまず考えられるようにならないと、いくら子ども食堂が日本中にできても目指したい社会から逆行していく。「『私』が変わりましょう。こんな社会になりたくてなったわけじゃないですよね」っていうことが必要。でも大人はどう変わったらいいかわからない状態だと思うんです。
チロル堂は、ちょっと変わっていこうよっていう参加の入り口になる。ここを維持していくことで、小さな地域の変革とか子どもの在り方の変革に参加できる。参加さえしてしまえば、子どもがわーっと吸い込まれていくようなまちの風景に出会って、自分が取り戻さないといけないことをもう一度考え始めたり、一緒に小さな行動を始めたりできる。寄付とかチロが行動のひとつとして作用していく、ってことを考えています。

坂本 僕は唯一、東吉野村っていう人口の少ない村に住んでいて、まだそういう在りようが残っている。自立共生的な生き方をしていかないと、心地よく暮らしていけないんですよ。それを都市化したエリアでどう取り戻していくのかっていう物語がこれから始まる。大きな共同体の危うさっていうものが可視化されてきているのかなと思う。個が独立するのが自由だと思っていたけど、共生できないと孤独になっていく。それぞれが小さな共同体をたくさんつくるっていうことしかないんだと思う。

吉田田 まちが行政のもので、僕らはお客さんっていうような感覚。そうじゃなくて自分たちでまちをつくっていい。昔は家の前の道に穴が開いていたら自分で直していた。もう少し主体を取り戻したい。僕らがこの地域をつくるんだっていうのを。そこにチロル堂みたいなものが現れて、しくみがどうこうよりも、みんなの意識を変えることからやらないといけないんじゃないかっていうところ。
理想の社会だったら、お酒とかコーヒーが1杯1000円で「普通よりは高いけれど、それが子どもたちの食事に回っていくんですよ」って言ったらみんなそっちを選んでくれる。そうなったらすごいけど、簡単にはいかない。いまはまだ入り口の段階だけど「変わるしかない」って感じているひとたちが山ほどいる時代になってきた。自立共生の社会がやってくるんだとしたら、楽しいなって思う。僕らはいまその先頭を走っていると思っていて、苦労も絶えないし、上手くいかないこともたくさんあるけれど、やりがいあると思っています。

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隣接するビルで工事が始まり、窓から見える景色は工事中のビニールシートだけになった。吉田田さんは、それを「はたらくおじさんをみる機会」と捉え、子どもたちは彼らと会話するまでに。おじさんたちも「すみませんね」と気遣ってくれて、和気藹々。チロル堂らしいエピソードだ

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チロル堂を立ち上げた3人は、福祉、デザインというジャンルを超えて「誰もが居られる場所」を目指してきた。それぞれの発想を持ち寄り、互いを補い合いながら、未だかつてない空間をつくりあげた。
今後は、地域の人々を良い意味でもっと巻き込みながら、誰もが居られる「自分たちの」場所にしていくことが切実な課題だ。生駒市に限らず、それは各地にもあてはまる。受け身の支援ではなく、自分たちが能動的に参加できる未来への入り口なのだと考えたら、もっと場所づくりは楽しく面白くなると、チロル堂のあり方は教えてくれる。

最終回となる次回は、チロル堂立ち上げにあたって、重要なアイデアを出した「たわわ食堂」の溝口雅代さんに、自身の活動もふくめてお話を伺っていく。地域と子どものかかわりや、地域の人々をどうつなぐのか、溝口さんの話を重ねつつ、チロル堂の今後の展開をみていきたい。

まほうのだがしや チロル堂
https://www.tyroldo.com
取材・文:竹添友美(たけぞえ・ともみ)
1973年東京都生まれ。京都在住。会社勤務を経て2013年よりフリーランス編集・ライター。主に地域や衣食住、ものづくりに関わる雑誌、WEBサイト等で企画・編集・執筆を行う。編著に『たくましくて美しい糞虫図鑑』『たくましくて美しいウニと共生生物図鑑』(創元社)『小菅幸子 陶器の小さなブローチ』(風土社)など。
写真:成田舞(なりた・まい)
山形県出身、京都市在住。写真家、二児の母。夫と一緒に運営するNeki inc.のフォトグラファーとしても写真を撮りながら、展覧会を行ったりさまざまなプロジェクトに参加している。体の内側に潜在している個人的で密やかなものと、体の外側に表出している事柄との関わりを写真を通して観察し、記録するのが得意。 著書に『ヨウルのラップ』(リトルモア 2011年)
http://www.naritamai.info/
https://www.neki.co.jp/
編集:村松美賀子(むらまつ・みかこ)
文筆家、編集者。東京にて出版社勤務の後、ロンドン滞在を経て2000年から京都在住。書籍や雑誌の執筆・編集を中心に、アトリエ「月ノ座」を主宰し、展示やイベント、文章表現や編集、製本のワークショップなども行う。編著に『辻村史朗』(imura art+books)『標本の本京都大学総合博物館の収蔵室から』(青幻舎)限定部数のアートブック『book ladder』など、著書に『京都でみつける骨董小もの』(河出書房新社)『京都の市で遊ぶ』『いつもふたりで』(ともに平凡社)など、共著書に『住み直す』(文藝春秋)『京都を包む紙』(アノニマ・スタジオ)など多数。2012年から2020年まで京都造形芸術大学専任教員。