4)アーティストとして、太古を現代につなぐ
『山伏と僕』の刊行は、坂本さんがアーティストとして活動するきっかけにもなった。文章を書くことと並行して、さまざまな芸術表現に挑戦するようになる。
———『山伏と僕』は、自分が芸術や芸能に関心があって山伏の世界に入っていったという内容だったので、それを読んだキュレーターの方たちから声がかかるようになったんです。そのひとつが山形ビエンナーレでした。
「みちのおく芸術祭 山形ビエンナーレ」は、坂本さんの拠点である山形で2014年に始まった芸術祭だ。その立ち上げにあたって、坂本さんは参加アーティストに抜擢された。
———今思い返してみると、自分で選んでこの道を歩いてきたんじゃなくて、流されて、今に至っているな、と。山伏になったのも、最初から作品を作ろうとか表現しようと思っていたわけではなくて。芸術とか芸能がどういうところから生まれてきたのか?という疑問に対して、自分もかつての人たちと同じことを体験、実践しながら、もう一度芸術を考えてみたい、と思ったんですね。得られたものを表現したいなみたいなところまではっきりとは思ってなかったですけど、元々何か作ったりするのが好きなので、自然とそうなっていきました。
「みちのおく芸術祭 山形ビエンナーレ」では、2014年、2016年と、洞窟=表現の根源をめぐって、映像作家・音楽家の高木正勝とクロストークをしたり、湯殿山の信仰のありようを案内する旅のガイドを行った。坂本さんがそれまで、ひとりで調査を行い、深めてきたことを、アートという表現を通して、多くの人に伝える内容だった。
そうした展開のなかで、もともと体験や実践を起点にしてきた坂本さんの表現は、自ずと身体をつかったパフォーマンスへと向かっていく。2016年には、ダンス作品「三つの世界」を生み出した。展覧会「ホーリー・マウンテンズ 内なる聖山へ続く三本の足跡(トレース)」では、オープニングイベントで、コンテンポラリーダンサーの大久保裕子、島地保武、音楽家の蓮沼執太との共同制作を行う。自然と人を結びつける「ものがたり」であり、古来のマツリと芸能を現代の世界にひらく試みだった。
———山や山伏のお祭りで実際にやられていた構造を基に、いろいろな山の要素を取り入れて、現代のダンスみたいなものを作ったらどうなるんだろう? という思いで作りました。
「三つの世界」の公演にあたって、坂本さんはこうも述べている。(以下、https://moerenumapark.jp/holy_dance/より引用)
「『もの』とは古い時代、自然の中に宿っている霊的なものをあらわす言葉だったと考えられている。
しずかに佇んでいる存在「もの」。彼らの言葉に耳を傾け、言葉を語ることが「ものがたり」であり、ものがたる祭りを執り行う者の動きから原初のダンスが生まれてきた。
震災や原発事故によって人々は自然の猛威にさらされ、今後、自然との関係をいかに作り上げていくかが大きな問題として浮上している。
原初の信仰ではマツリの場においてダンスやウタといった芸能によって自然と人は結びつき、あるいは生と死の循環がおこなわれると信じられていた。
宗教や信仰が解体しつつある現代において、私たちは新たに自然と人をむすびつけるものがたりを見つけ出さなければならない。そこにはきっと自然と人の関係を結び、生と死が循環するマツリの場が出現しているのだろうと思う。」
芸術や芸能の原初を探りながら、各地で目のあたりにしたのは、継承されてきた芸能や風習が消えつつある危機だ。その状況において、何をすべきか。そのひとつの答えが、ダンスやパフォーマンスによる表現だった。
2019年には宮城県石巻市を舞台に開かれるアート、音楽、食の総合芸術祭「リボーンアート・フェスティバル」で、パフォーマンス作品「いつかあなたになる」を発表。「三つの世界」に続き、「マツリ」の構造や要素を再構築し、現代におけるマツリや芸術、芸能を探ろうとした。こちらも大久保裕子との共同制作で、ダンスにアオイヤマダを迎え、ラッパーの鎮座DOPENESSが音と言葉で出演した。コロナ禍の2021年には大久保裕子と制作した作品「Cocoon」をオンラインで公開。この時は、聖なる技術を宿した「もの」を扱う試みとして、砂鉄を採取し、炉で溶かし、できた鉄で芸能に用いる祭具も作った。
体験を書くことに始まり、それらを介して得たことを、坂本さんはさまざまな形でアウトプットする。そうしたプロセスを辿っていくと、神秘的で、遥か昔の世界のモノゴトが、現代までつながっているような感覚をおぼえる。