3)体験と知識と 山々を歩き、山を読む
山伏は聖なる山で修行を積む人たち。その目的は、修験と呼ばれる超自然的な力を自身の身に宿すことだ。対して坂本さんは「自分なりに自然に対する畏怖はあるけど、いわゆる宗教家のものとは違う。修行して超能力を手に入れたいわけでもない」と言うように、そこを目指してはいない。彼が着目しているのは、大きな言葉で語られる宗教ではなく、古くから人々の中で活動してきた名もなき山伏の姿やその文化の根源だ。
———山伏って元々日知り(ひじり)って呼ばれてたんですね。暦や自然の知識を知る者っていう意味で。民間のお祭りを担うシャーマンのような存在だったんですが、彼らが自然や神様と向き合うときに言葉を発する。それが歌の始まりだったとか、その時トランス状態になった者の身ぶり手ぶりから舞が生まれた、ともいわれていて。そういう原初の発生が、おそらくその現場にあっただろうと。そして、その原初の面影は、未だに山伏文化の中に残っていて。もちろん他のお祭りの中にも残ってはいるんですけど、部外者である僕が参加できるものが山伏だった。
人はなぜ絵を描くのか? という少年時代からの根源的な問い。そのヒントを手繰り寄せるように、坂本さんの関心は、出羽三山の文化や自身の修行体験に留まることなく広がっていく。山伏が培ってきた「自然と共生する知恵と術」をひもときながら、現代社会を捉え直していったのが2013年刊行の『山伏ノート』(技術評論社)だ。同年には、坂本さんは山形に移住。さらにそこから関心は日本全国や、その先のアジアへ広がっていった。
———山伏や山の文化には、時間の深みみたいなものが目の前に広がっていて。その深みはどういうふうに成り立ってるんだろうっていうことを、知りたいと思ったんです。例えば、羽黒山の「松例祭」っていう冬のお祭りも、いろんな場所に行って、調べて、比較できるようになった今考えてみると、修験道の要素と、昔渡来系の人たちが持ち込んだお祭りが合体してこの形になってるんだ、とわかる。でも初めて見た時はそういうのはわからないんです。ただ何か、すごく深いものがここにありそうだっていうことだけ。それを自分なりにひもときたいと思って山形に来てみたり、山形のことを知るために九州や、さらに朝鮮半島や中国まで行って調べていくと、こういう時代に、こういった人たちが日本にやって来て、元々住んでた人たちと交流して、こういうものが残ってるんだなとわかってくる。
日本やアジア各地に足を運び視野を拡げる一方で、足元を見る目も変わっていったという。
———僕が生まれ育ったのは千葉県の稲毛というところで。古そうなお祭りっていうのが一切ないような新興住宅地です。でも、いろいろ経験してみると、あるなって今はわかる。山形に残ってる古いお祭りも、稲毛で行われる行事も、自分たちの文化のルーツみたいなものでつながっている。そういう感覚が生まれました。
山へ行き、まちに戻っては文献に向かい、再び山へ。それを繰り返しながら、見知ったことを本にまとめていく。そうして、日本文化の原初を探ることは、現代社会のありようを知ることにもつながっていった。