2)サブカルチャーから山伏へ
しばらくイラストを生業に暮らしていた坂本さんは、ひょんなことから山伏の存在を知る。2006年には羽黒の宿坊「大聖坊」で行われる2泊3日の山伏修行に参加した。
———滝に打たれたりとか、山歩いたり、なんでこんなことしてんだろうって思ったんですけど、何となく面白いなと。
山伏の修行は、白装束を着て、断食をしたり、夜通しお経を唱えたり、山を登るなど、都会暮らしで心身ともになまった坂本さんには厳しいものだった。一方で、長時間山を歩いた末には飾り気のない山の美しさに圧倒され、2切れのタクワンの美味しさに感動するといった、素朴な自分自身を再発見する側面もある。
坂本さんは東京に帰ってからすぐに山伏のことを調べ始めた。歴史学、民俗学、人類学といった関連文献を読み漁るだけでなく、並行して山形に通っては修行を重ねた。座学と体験を繰り返しながら山伏や山岳信仰を掘り下げていく。
———調べてみると、山伏っていうのが、芸術や芸能の発生とか発展に関係していることがわかって。もしかするとこれ、自分がずっと知りたいと思っていたことに関わっている人たちなのかも、と。
とはいえ、文献だけでは飽き足らず、いくつかの大学の授業やゼミに潜り込んだ。柳田國男や折口信夫といった民俗学者の文章はとっつきにくく、はじめはチンプンカンプンだったが、無理矢理読み進めていくうちにだんだんと内容が理解できるようになっていった。1、2年は本を読んだ記憶しかないほどだった。
そんな姿を見た知人の編集者に勧められ、坂本さんは山伏修行の体験を文章にまとめることになる。文章が雑誌に掲載されると、たちまち評判になった。それが2014年に書籍化されたのが『山伏と僕』(リトルモア)だ。
———本を書くとは全然思っていなかったのでメモなんか取っていなくて、全部思い出しながら。書くのに2年くらいかかりました。でも、全然大変ではなかったですね。書くのが意外と好きだったんです。
この本は修行の体験がベースになっているが、それだけではない。例えば、修行中に裸足で登った湯殿山の御神体である大岩。そこで感じた岩と自分との強い結びつきが、その後いろいろと調べていくうちに、坂本さんの中で腹落ちしていく。そんなふうに、体験後に学んだ知識もそこにつなげて書かれている。
文章はもちろん、タイトルの題字や挿絵になっている版画も自分で制作。彫った手の動きまで感じられる白黒のヴィジュアルが、本の内容をより感覚的に伝えている。当時、無名だった坂本さんにとっての初めての著作。さらに、本のテーマは山伏、という多くの人が実態を知らない存在である。世に知らしめるにはどうしたらいいか、知恵を絞った。
———この人誰?ってたぶん誰もが思うなと。そんななかで、どうやったらみんなの記憶に残るのかな?っていうのはすごく考えましたね。そういうことを考えるのもけっこう好きなんです。書き方とかも。難しい言葉で言わない方が人の心に入ってくると思ったし。
山伏や山に伝わる、古来の知恵の豊かさ。そのありようが、坂本さんのリアルな実感とともに、また友達に話すような口調で書かれた内容は、親しみを持って読み進められる。