アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#129
2024.02

山と芸術 未来にわたす「ものがたり」

1 山伏と坂本大三郎 山形県西川町

1)絵とゲーム 好きなことに熱中する

2023年11月末、山形駅から西川町に向けて車を走らせると、秋晴れの青空に唯一冠雪した月山が姿を現した。月山は古くより信仰を集めてきた出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)のひとつで、山伏が修行を行う霊場としても知られている。

イラストレーターとして20代を東京で過ごしていた坂本さんは、30歳で羽黒山の山伏修行を体験。そこでおこなわれていたことに興味を持って、山伏の文化や日本古来の山岳信仰にのめり込んでいった。7年後の2013年には羽黒に移住。現在は月山の麓の町・西川町を拠点に、山伏修行を続けながら、イラスト制作や執筆活動、自身の店「十三時」の運営、またアーティストとして「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ」ドイツの「ドクメンタ」などの芸術祭にも参加している。

セレクトショップ「十三時」で迎えてくれた坂本さんは、いわゆる「山伏」というイメージからは少し意外な、物腰柔らかな印象。自ら焙煎したというコーヒーでもてなしてくれた。霊山の麓でセレクトショップ、という発想は新鮮だったが、山の気配が隅々に感じられる店は、周囲の風景にも溶け込んでいる。

千葉県の新興住宅地で生まれ育った坂本さん。子どもの頃から喘息がちで体が弱く、多くの時間を家で過ごす少年だったという。具合が悪くなると、外では遊べない。もどかしさを抱えながら、絵を描くことが好きになっていった。

坂本大三郎さん

坂本大三郎さん

———小さい頃は純粋な気持ちで絵を描いていたのが、成長するにつれ、「どうやったら良い絵になるんだろう」から「どうやったら良いって言ってもらえる絵になるんだろう」みたいに考えるようになってしまうような気がして。でも、そういうふうに考えて描いたものは、またちょっと違う感じがするじゃないですか。その「良い」ことの価値観のぶれが自分では違和感があって。そこから、人間ってなんで絵を描いてきたの? 絵を描く行為ってどういう意味があるの? とか。だんだんそう考えるようになった。そういう疑問が心のどこかにずっとありました。

勉強も学校も大嫌い。信頼できない人から何かを教わるのが苦手だった。家では絵を描く他に、ゲームにも熱中していた。そうした少年時代の生活から一転して、坂本さんは現代美術のギャラリーのスタッフとなる。

———10代の終わりに、友達に誘われてなんかのアートイベントに行った時に、そこの人たちと仲良くなって。ちょっとギャラリーに遊びに来てよ、みたいな話になって行ってみたら、そこのスタッフをすることになったんですね。スタッフといっても、事務所にあった『バーチャファイター』というテレビゲームをやりに行ってただけなんですけど。そのギャラリーというのが、現代美術家の村上隆さんとかが立ち上げに関わっていた場所で。漫画家の岡崎京子さんやその界隈の人が、しょっちゅう出入りしているようなところだった。10代の自分にとってはすごく刺激的でしたね。
岡崎さんの仕事場にも遊びに行くようになって、アシスタントみたいなこともするようになって。その時、岡崎さんのテーブルの上からいろんなものが世の中に出ていくのを間近に見て、すごく感動したんですよ。それを僕も手伝うことで、学ぶことができて。勉強って面白いんだなと思いました。この時から、いろいろ勉強したいなとか、本読んだりするようになりました。

その流れで自身の漫画作品を描くようになると、いくつかの新人賞を受賞。青年誌に担当もついてマンガ家の卵として期待された。しかし同じ頃、知人の才能豊かな漫画家が商業誌の世界に馴染めずに体調を崩していくのを目の当たりにした。漫画を描き続けるのは心身ともにハードで、慢性的に睡眠不足の漫画家は寿命が短い、という話も編集者から聞いた。漫画家にでもなろうかな、と軽い気持ちでいた坂本さんだが、ここで現実を目の当たりにする。その世界で生きていくには、当時の甘い考えの自分では無理だった。また、商業誌に持ち込みをしていたものの、つげ義春的な作風だったことに気づき、漫画家にはならなかった。

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絵やイラストはずっと描き続けている。こちらは山にまつわる生き物をはじめ、さまざまなモチーフを描き、版画にした「山トランプ」