2)ニューヨークから高知の山奥へ 学ぶ人を主語に 瀬戸昌宣さん2
急激に「人間の育ち/発達」に興味をもつようになった瀬戸さんは、教育を切り口に一から仕事をつくることを決断する。そして、新しいことをするなら、教育や経済的、社会的状況、高齢化など、大きな困難を抱えている場所でチャレンジしてみようと考えた。そうして情報収集を進めていたところ、高知県土佐町の募集を見つけ、自治体で1年ほど勤務。その後、独立して「NPO法人SOMA」(以下、SOMA)を立ち上げた。
アメリカのトップクラスの大学での研究職から、日本の過疎地域へ。側から見るとかなり突飛な方向転換のようだが、瀬戸さんのなかには一貫した軸があった。
———SOMAは「人が育つ環境をととのえる」とミッションを掲げていますが、もっと本質的なことを言えば、僕がやりたいのは「生き物が育つ環境をととのえる」ことなんです。やっぱり僕は生態学者なんだなと思う。
興味を持ったらとことん極める姿勢には、瀬戸さんの根っからの研究者肌を感じる。しかし、その興味を発端にここまでの思い切った行動力を発揮する人はなかなかいないだろう。瀬戸さんの型にはまらない自由さ、そして自分と未来を信じる力の強さには感服してしまう。
土佐町ではどんなに頑張っても、自分は「外の人間」。かたちをつくって地元の人たちに渡す、という構想だった。 SOMAが土佐町で達成しようとしたのは、「学習権の保障」だ。不登校の子どもたちを主な対象として「学びたいことを学びたいときに学びたい場所で学びたいように学ぶ」ことをサポートする活動を行った。しかし、地元の人たちから理解を得るのには困難もあった。
———学校と町とSOMAと3者で協力して、学校に行っても、学校じゃない場所に行っても、同じように学校を卒業できるかたちをつくることを目指しました。最近はそういう活動も増えてきていますけど、そのときは新しすぎてなかなか理解してもらえなかった。僕のやることはだいたいいつも5年以上早すぎるんですよ(笑)。
達成したこともやり残したこともあると言うが、瀬戸さんはやはり高知を離れることにした。
———福津に来る前は、大学があるからとか仕事があるからとか、住む場所の意思決定の手前に動かせないファクターがあったんです。完全に自分の意志で来たとは言いづらい状況がいつもあって、それが時として言い訳の温床になる。妻に「『住みたい場所に住む』をやってみたら言い訳しなくてよくなるんじゃない?」って言われて、一緒にやってみようと決めました。
そんなことを考えていた折、仕事でたまたま訪れたのが福岡県福津市だった。福間海岸に落ちる夕日を見たとき、瀬戸さんは「ここに住みたい」と思った。その週末にさっそく家族で福岡を訪れ、引っ越しを決める。そうして、福岡を新しい拠点に、瀬戸さんとSOMAの次のフェーズが始まった。