6)心臓は常滑にある 山源陶苑1
窯元として、何をつくり、産地の可能性を開いていくか。そして、どのように地域社会とかかわっていくのか。そのことに真摯に取り組んでいるのが「山源陶苑」の鯉江優次さん(以下、優次さん)だ。
山源陶苑の創業は1967(昭和42)年。常滑焼の窯元として、業務用の甕をはじめ、テーブルウェアなどの多様な商品を製造している。常滑のさまざまな土から生地をつくり、成形し、基本は低温で焼き締める。ものによっては自社で調合してつくった釉薬をかけて焼く。生産量は常滑でもかなり多い。
優次さんは1975年生まれの3代目にあたる。幼い頃から父や祖父の仕事を見てきたが、社会人になると東京で陶磁器製品を扱う商社に勤めて、常滑を少し離れたところに身を置いた。
2000年代、常滑窯業は全体に厳しい状況にあり、山源陶苑も危機的だった。両親に懇願され、戻ってきた優次さんは思い切った改革を始める。流通の経路を変えて自社販売を始め、新しい商品ブランドの立ち上げを進めた。
その流れを見守り、伴走してきたのが高橋さんだ。2004年に高橋さんが無印良品の仕事を優次さんと取り組んで以来の付き合いだが、優次さんが自社ブランドをつくるという新しい仕事は、高橋さんが常滑に移住する大きなきっかけでもあった。
———優次さんたちが流通経路を整備したりするのは、ぜんぜん平坦な道のりじゃなかったと思います。製品を問屋を通さず売るというのは、その頃、とても難しいことでしたから。でも、そうやって変えていかないと会社が倒産してしまうという危機感が優次さんにはあった。だから折れずに、先代や産地と調整してこれたと思います。整備ができて、会社が健全になったときに頼まれたのが「TOKONAME」なんです。(高橋さん)
2014年、10年ほどの歳月をかけて、優次さんは自社ブランド「TOKONAME」を打ち出し、シリーズ「TEA FAMILY」の展開を始めた。ティーポットを軸とした茶器はパステルカラー。朱泥の、どっしりした常滑急須のイメージを覆すような、かろやかなラインナップだ。色を出すには釉薬をかけるのではなく、素材に顔料を調合して焼き締める。従来の量産タイプの常滑焼の技法と同じである。朱色を出すベンガラを、他の顔料に置き換えただけ。その手法は陶芸研究所の紫色の外壁タイルとも重なる。それが優次さんの掲げる「伝統の継承と更新」のありかただ。
———家業が本当に大変なことになっていて、自分にできることは何だろう、と考えたんですね。「お金がないけどなんとかやってもらえないですか」と高橋さんに話したら、高橋さんがチームを組んで、すごい熱量でやってくれてかたちにできたんです。
ブランドを立ち上げた発信もしてくれて、「常滑の新しい焼きものができた」とメディアでも取り上げられたんですね。そして、各地で巡回展をすることにもなって。
展示は表参道のROCKETから始まった(現在休業中)。東京のカルチャーシーンの真ん中で、ふだん常滑焼に接する機会のない若者やクリエイターとの接点が生まれた。「新しい焼きもの」に興味を惹かれる人たちが集ったことは、優次さんにとって、数十年先にもつながると思える手応えがあった。
———ROCKETで展示が終わった後に、仲間のアートディレクターが言ったことがすごく印象に残っていて。「みんな勘違いしちゃダメだぞ。外のディレクションする人間が変わっても、心臓がどこにあるかなんだ。ここの(プロジェクトの)心臓は常滑にある」と。
高橋さんは、ずっと伴走してくれている、地域に根差したデザイナーだと思っています。でも、彼に任せればなんとかなる、という考え方になるのは違うと思う。地域ではそう思われがちなんですけど、どこに心臓があるかが大事なんですよね。僕のやりたい気持ちに動いてくれたみなさんのおかげでできたけれど、後は依頼主のほうがどうやっていくかっていう話なので。
展示はその後、大分を巡回し、1年後に常滑で開催されることになった。優次さんは構想していた「自社のスペース」を開き、そこで展示を行うことにした。