3)神山の味を受け継ぎ、次の世代につなぐ
春はよもぎ仕事、初夏は梅仕事、夏は阿波晩茶……フードハブ・加工チームの山田友美さんは、季節ごとに旬の作物を加工した商品をつくっている。取材をした日には「よもぎほたパウンド」を焼いていた。蒸しパンに似た徳島の郷土菓子「ほたようかん」をイメージして生まれたパウンドケーキで、よもぎがたっぷり練り込まれている。
フードハブは、神山の食文化を受け継ぎ、その味をつないでいこうとしている。加工チームのメンバーが中心になり、70〜80代のお母さんたちと一緒に手仕事をする。特に、お世話になっているのが下分加工所で活動する、生活改善グループのお母さんたちだ。
生活改善グループの起源は、古くは明治時代に農村生活を改善する社会教育事業としてはじまった生活改善運動にまでさかのぼる。戦後になると、農林省(当時)が各都道府県に生活改良普及員を配置。地域ごとに生活改善グループが結成され、住まいや食、家計簿の記帳などに取り組んだ。
神山で、各地区の生活改善グループの活動が活発になったのは1955年以降のこと。1975年には、神山生活改善グループ連絡協議会が結成された。1978年(昭和53)には、神山町内で古くから伝わる特産物を活かした家庭料理や行事食などをまとめた書籍『神山の味』を発刊。さまざまな料理コンクールなども盛んに開かれ、多くの女性たちが参加していたという。
ところが、高度経済成長期以降、女性たちのライフスタイルにも変化が起きた。まちを出て暮らす人、町外で働く人が増えるなか、生活改善グループに参加する若い世代は減っていった。現在のメンバーは70〜80代になり、このままではお母さんたちの味が失われてしまうかもしれない。フードハブの加工チームは、お母さんたちの味をつないでいこうとしている。
———実は、よもぎ団子は「丸めるところはいいけど、レシピは“企業秘密”やから教えられん。」と最初は言われていたんです。でも、一緒に団子を丸めながら、お母さんたちとの関係性を築いていくなかで、「フードハブはレシピがほしいのではなく、味をつなぎたいんだ」ということを理解していただけて。今は、一緒に作業することがお互いの楽しみになっていて、すごくいい感じでやれるようになりました。
春にはよもぎ仕事、初夏には梅仕事、真夏から秋にかけては茶摘みして湯がいた茶葉を乳酸発酵させて天日で干す阿波晩茶づくりをする。加工チームの山田友美さんは、お母さんたちの目分量や勘でつくられてきたレシピを、データ化して記録に残す作業にも取り組んでいる。
旬にたくさん採れる野菜や果物を保存したり、行事のために仕込んだりする加工品は、このまちの暮らしの知恵であり文化である。口に入れると、思い出す季節や行事があり、お母さんたちのにぎやかなおしゃべりと鮮やかな手の動きが蘇る。山田さんたちもまた、お母さんたちと一緒に作業する時間とともに、味を継いでいこうとしている。フードハブは、時間を超えて「小さいものと、小さいものをつなぐ」場としても機能しはじめている。