2)お金ではないつながりで、さまざまにデザインする
スタジオシロタニ・山﨑さんと古庄さん2
城谷さんを訪ねて小浜に来たふたりは、さらに衝撃を受けることになる。
そのころ、城谷さんのスタジオは海辺に面し、美しい夕陽をのぞめるところにあった。
———夕陽を見ながらビールを飲んで、こんな気持ちのいいごはんの食べかたがあるんだな、と。城谷さんに「学校やめて来ていいですか?」とすぐに聞いてたくらいです。(山﨑さん)
———デザイナーのいる環境ってこんな感じじゃないはず、と思ってましたから、異世界に来たみたいでした。でも「あのデザインはここで生まれたんだ」と、ある意味納得できたというか。(古庄さん)
スタジオからの眺めは“絶景”と評判で、城谷さんの友人知人たちも、この景色を楽しみに世界中からやってくる。明るい陽光がふりそそぐ、海に面した豊かな風土を、シチリアに似ているというひとも多い。
魅力的な土地の、最も美しい景色のなかで仕事する生活は、自分たちのこれからを模索していたふたりにとって、ひとつの答えのようでもあった。
その後、山﨑さんは、城谷さん主宰でデザインを学ぶ学生向けの「雲仙ワークショップ」への参加などを通して、小浜がますます好きになっていった。好きになった場所で仕事と生活をしようと決め、2012年に城谷さんの事務所に入る。
古庄さんのほうは、小浜を初めて訪ねてから就職活動を辞めてしまった。
———東京に通って、選考が進むなかで「ここに入って、デザインの仕事をやって、僕はどうなっていくのかな」と考えていたんですが、城谷さんの仕事を見て、気持ちが完全にそっちの方向を向いてしまったんですね。僕もこんなところで本質的なことを考えながら、デザインの仕事をできたら幸せだろうって。
それで、就活では選考の進んでいたものを全部辞退して、大学院の試験も受けないことにして。今思えば退路を断った状態だったと思うんですけど、「おれ(城谷さんのところに)行くから大丈夫!」って感じだったんです。そのぐらい僕には衝撃で、「今まで迷ってきたけど必要な迷いだったんだ、やっと見つけた!」って。城谷さんに言ってないのに、勝手に行く気になってました。
古庄さんが4年生の夏、城谷さんのプロジェクト「北刈水エコヴィレッジ構想」が始まった(詳細は前編を参照)。このとき、山﨑さんはスタッフとして、古庄さんは学生としてプロジェクトに参加する。その最初のアウトプットとして「刈水庵」を開くとなったとき、古庄さんは店をやってみないか、と城谷さんに打診され、思い切って引き受けた。それ以来、店長として刈水庵を取り仕切っている。
ふたりの働きぶりを見ていると、とても頼もしい。それぞれの仕事の守備範囲も広いが、経験の少なさを知恵と工夫、そして想像力で乗り切っているように思える。とはいえ、仕事ばかりしているわけではなく、あくまでここの生活を楽しむなかでいきいきと仕事に取り組んでいる、という印象だ。
———ここにいると、ひとがひとらしいな、と思うんです。ひととのつながりも、お金じゃないことがたくさんある。たとえば、僕たちは地元の農家のパッケージデザインなんかも仕事にしていますが、お金がなければトマトで払ってください、みたいなこともある。そして、仕事をするなら、食事をともにすることが多いですね。それが当たりまえかな。(山﨑さん)
———僕は新卒で、何の経験もないのにいきなりすごいところに来た、みたいな。大学の同期にも僕みたいな選択をしたひとはいません。これだけ地方で仕事ができる時代になっていても、みんな東京とかのインハウス(*)やデザイン事務所に行くんですよね。
僕はそんな同級生たちと真逆ですが、ふつうの事務所のようにグラフィックだけとか設計だけとかではなく、本当に何でもやるので充実しています。それが地方の事務所のいいところだと思うし、あるべきすがたじゃないかなとも思いますね。なんでも屋さんじゃないと、こんな田舎で「僕は家具のデザインしかしませんから」なんて言っても仕事にならないじゃないですか。生活も何でもできないと、この辺じゃ生きていけませんから。(古庄さん)
前編に少し書いたが、刈水エコヴィレッジ構想のプロジェクトを始めてから、城谷さんはあらためてデザイナーにできることの多さを実感していた。新しくものをつくることだけがデザイナーの仕事ではない。ふたりともそのことをよく理解しているからこそ、ものごとを柔軟に受けとめ、取り組んでいるのだった。
* 企業に所属する状態。インハウスデザイナーとは、企業のなかでデザイナーとして働くことをいう。