3)「ミカンセイ」を育てる
小熊さんは、気づき、学ぶきっかけをさまざまなかたちで試みてきた。そのようなあり方から生まれたひとつが、アート教室「ミカンセイ教室」だ。
———いちカフェの隣に、「ただの遊び場」という、子どもも大人も自由に遊べる空間があります。東京から移住して教育事業を経営する友人たちが始めた民間施設で す。そこで以前、「ミカンセイ教室」という名前のアート教室をやったことがありました。「まだ完成していない」という意味と、「感性ができあがる前の”未感性“」という意味を込めた名前で、そこで、「1年間かけて1枚の絵を完成させる」というプログラムでした。
山や原っぱに行って、落ち葉や枝など自然にあるものを拾って筆みたいなものをつくったり、落ち葉から染料をつくったり、画材をつくるところから自分自身でやってもらいます。額縁などをつくるのには、子どもにはできない力仕事もあるので、それは大人が手伝ったりして、大人も子どもも一緒になって絵を描くために必要なものをつくり出す。そしてキャンバスに絵を描いて、それを貼って展示するところまでやりました。
毎月1回、1年間で12回かけてやっていくため、通うことのハードルもあったものの、秋田市から通ってくれた家族がいたり、通常の学校教育ではないフリースクールを選択する子が母親と一緒に参加してくれたりもして、手ごたえを感じた。
———何かをつくること、アートや美術というのは、用意された画材に絵を描くことだけではないですよね。もっと自由なもののはずです。つくるための材料や環境も、用意された設備や施設である必要はなくて、まちのなかにも無限にある。そうしたことをこのプログラムを通じて知ってもらい、かつ自分たちがとても豊かな環境のなかに生きているんだということを感じてもらえたら、という気持ちです。ただ、それは押し付けても伝わらない。子どもたちには、その場を楽しいと感じて夢中になってもらえたらそれでいいのかなとも思っています。そういう経験の積み重ねがどこかに残って、いつか大人になったときにふと、何かを気づけるようなきっかけになっていれば、と。
そうした気づきを得られるのは子どもに限った話ではない。講師をつとめる大学生、子どもを見守る保護者、そして小熊さん自身も、この教室にかかわっているうちに面白い発見がある。気づきがどんどん派生していくことで、学びも変化していく。
大人もかつては子どもであって、子どもも将来は大人になる。そして大人も永遠に未完成のままなのだから、と。子どもは、あらゆるものから新しい気づきや発見を得るが、大人は逆に、情報的な理解しかできなくなりがちだ。それゆえに、日常のなかで子どもが新たな発見や感動を得る姿を見て、はっと気づかされることも多いのは誰もが経験的に知っているだろう。そのように、子どもが育つなかで、大人も育つ。また、そういう大人の姿を見て、子どももまた育つのだ。大人と子どもがともに体を動かし、手を動かすこのプログラムは、そのような場になっているようだった。そして、小熊さん自身もまた、こうしたプログラムを試行錯誤しながら実践していくことで、育ち、成長しているのかもしれない。