3)飛生の森から白老の海岸へ
一方、2018年ごろから、飛生芸術祭を核とした活動は、旧校舎のアトリエを飛び立ち、地域に広がりを見せはじめる。
「飛生の森から、いよいよお前ら降りてきたな、と。地元の方からすごく歓迎されています」と笑うのは、飛生芸術祭のディレクターを務める木野哲也さん。「飛生の森づくりプロジェクト」と、芸術祭の前夜祭「TOBIU CAMP(トビウキャンプ)」の立ち上げメンバーでもある。
もともと飛生芸術祭は飛生アートコミュニティーのアトリエとなっている旧校舎と学校林のみを会場としてきたが、白老町内でも滞在制作や展示などのプログラムが行われるようになってきている。この展開の中心にいるのが、木野さんだ。
木野さんは札幌国際芸術祭などにもディレクターとしてかかわってきた、文化・芸術事業のプロデューサー。2018年に「ウイマㇺ文化芸術プロジェクト」、2021年に「白老文化芸術共創 -ROOTS & ARTS SHIRAOI-」という文化庁関連の2つの事業を白老で立ち上げた。「来るお客さんにとっては、どこの主催で実施されるイベントかは関係ない」と言い、飛生芸術祭を含む3つの枠組みを連携させながら、町内で総合的に地域文化を発信する機会をつくろうとしている。
木野さんは、その一環として今年開催した《歩いて巡る屋外写真展 虎杖浜・アヨロ》に手応えを感じているようすだった。虎杖浜は白老町の小さな漁村集落。その海岸沿いの廃屋などの壁一面に、50〜60年前の人々の営みを記録したモノクロ写真が大きく掲示されていた。写真には働く女性や、子どもたちの遊びなど漁師町の生き生きとした生活風景が活写され、現在の一変した風景と重ね合わせて見ることができる。
———もとは目を覆いたくなるような廃屋なんですが、こうした展示になり、地域の方が驚いています。場の力は大きいですね。50〜60年前の写真なので、まだ当時を憶えている住民も多い。「これ、あの人では?」「あれは俺だ!」「あの人、あなたの恋人だったでしょ」とか、昔の記憶に花が咲く場面が多く生まれ、それだけでもやってよかったと思います。
「展示」や「アート」というと、「自分たちには関係ない」と考える方も少なくなくて、このプロジェクトでは「生活文化」に着目しています。「文化」が、人が生きて死ぬまでの営みだとすれば、誰にとっても身近なもので、自分のこととして考えられる。結果として、それこそがアートの体験でもあります。
「地域には固有の文化がたくさん残っている」と、木野さんは続けてきた活動の実感を語る。アーティストと住民が協働する滞在制作と発表、土地の歴史を深く知るための専門家を交えたフィールドワークツアー、伝統工芸品の木彫り熊の調査と展覧会、情報発信のためのラジオ放送……。多彩なプログラムを通じて、それを掘り起こそうとしてきた。
———地域の方ほど「うちのまちは何もない」と言いがちですし、自治体も文化事業を広告代理店に丸投げにしてしまったりする。でも、本当は「ある」んだと思います。
それを有名なアーティストを招いてどうにかしてもらう、ということをやりたいのではありません。アーティストや専門家などの多様な第三者と住民が一緒になって、地域の有形・無形の文化資源を再発見・再編集・再構築・再発信していく。音楽でいうリミックスのような掛け算を続けていけば、地方であってもいくらでも新たなクリエーションができる。その前例となれたらと考えているんです。
そうした活動が、結果として、地域コミュニティの再興や、よそ者を寛容に受け入れる土壌の醸成につながっていくのではないでしょうか。それって、文化ができる得意技だと思うんです。
「活動の可能性が白老だけでなく、過疎のまちや僻地の光になっていけば」と、木野さんは期待する。人が住むところに、文化がないことなどない。その土地をさまざまな人々のイマジネーションで見つめなおし、土地の魅力を語りなおしていく。飛生からはじまった、アートを介した地域再発見のストーリーは次のフェーズへと広がりつつある。