1)まだ名もない、独創的な仕事
午前11時半。保育園は昼食の時間だ。今日のメニューは、白飯と春雨とニンジンのスープ、麻婆豆腐と野菜の和物。子どもたちが食べやすいようつくられた特製の食器に、旬の素材をつかったおいしいご飯が並ぶ。子どもたちは食べ終わると、デザートの果物をもらいに、調理室の前に一人また一人と歩いていく。調理室は保育室より床が一段下がっていて、調理師と子どもの目線が合う。「おかわり! もっとほしいよぉ」「一つずつとるんだよ」などと、子どもと調理師とのあいだに自然とコミュニケーションが生まれていく。
「食は生活の基本。とても大切にしています」と語り、園内を案内してくれる酒井さんは保育園の園長としてここにいる。その姿とは、一見、大きなギャップがあるのだが、酒井さんは写真家としての活動も両立している。取材の前日も撮影に出かけていた。仕事のバランスは、どうやってとっているのだろうか。
酒井さんは、「出産して生活環境が変化するなかで、仕事の比重も変わっていきました。いまは、保育園の仕事が中心です。でも、そもそも写真家は撮ることに専念しないといけないという考えがありません」と語る。「写真家という存在を一つの定義に収めなくてもよいのではないか」と。
———写真家と名前がつくと、写真を撮り、現像し、表現する人と普通はとらえますが、そのとらえ方は変えてもいいと私は思うんです。写真をあくまで「手段」だと考えれば、自分の活動を何とつなげてもいいのではないか、と。写真家として美術館でインスタレーションの展示をやったことがあるし、まちづくりをやってもいい。写真家と呼ばれるかどうかは、あまり重要ではないと思っています。
ともすれば、私たちは仕事を既成のカテゴリーに収め、そのなかで成果をあげることに腐心する。だが、仕事の定義を固めすぎると、かえって自分の仕事が持つ可能性を狭めることになるのかもしれない。やりたいことや目的が重要で、その手段として仕事があってもいい。写真も被写体とコミュニケーションを重ね、信頼関係を築くためのツールと考えれば、どんな場でも生きてくる。目的に向かうプロセスのなかから、酒井さんにしか描けない、まだ名もなき独創的な仕事が生み出されていく。
では、酒井さんにとっての核となる「目的」とは何なのだろうか。