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アネモメトリ -風の手帖-

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#99
2021.08

未来をまなざすデザイン

4 学びを響き合わせて、新しいうねりへ
3)真逆の環境で 技術を身につけ、自分の軸をたしかにする
デザイナー・川浪寛朗さん3

STUDIO SHIROTANIで3年半仕事をした後、川浪さんはデザイナーの原研哉さんが代表を務める日本デザインセンターに移った。職人とプロジェクトを行いつつ、プロダクトや空間を手がける個人事務所から、日本を代表するグラフィックデザインの会社へ。さらに、小浜から東京・銀座へ。極端にも思える転職の理由は何だったのだろうか。

———ミラノからアジアに行ったこともそうですが、天邪鬼で振れ幅が大きいところがあるんですよね。振り子運動ともいえるかもしれませんが。
城谷さんとの仕事は贅沢な時間で、小浜での生活も金銭的なところではない豊かさがたっぷりありました。「夜まで仕事するのはプロじゃない」と言って、日が沈んだら仕事が終わって。パンデミックのさなかにある東京で、今、その話をしたら「そうだよね」ってなるようなことを、当たり前のようにやっていたんですよね。
そして、城谷さんはわかりやすくいうと「アンチ東京」「アンチ商業主義」。その姿勢がすごくはっきりしていたので、城谷さんが否定している東京とは何なんだろうなとは思っていました。何に対してのアンチなのか、行ってみないとその真意はわからない、とも。いきなり正解みたいなところに入った感じがあったので、そうではなくて、がむしゃらに仕事する現場とか、まったく違うところも見てみたい。否定するにしても1回見ておかないと、っていうのがモチベーションとして自然と生まれてきたんですよ。

最終的に何を選択するにしても、見られるものは見て、体験できることは体験する。川浪さんはそうして自分の納得できるデザインを探っていこうとしたのである。それは回り道かもしれないが、とても真っ当な進み方であるように思える。
もうひとつ、プロダクトデザインにかんする根本的な疑問が川浪さんに生じていた。

———プロダクトデザインという仕事の限界をなんとなく感じていたところがあって。
(アッキーレ・)カスティリオーニさんのミラノのスタジオに、城谷さんに連れていってもらったことがあったんです。カスティリオーニさんは残念ながらすでに亡くなられていましたが、奥様のイルマ夫人やスタジオを管理されている娘のジョバンナさんたちといろいろ話ができました。何よりスタジオの隅々に、社会にプロダクトデザインが必要とされていたころの雰囲気が充満しているように感じました。その時、今の自分が置かれた状況とは全く違うと思いました。これだけものが溢れていて、新しいものが必要とされていない状況でも、毎年のように新製品が生まれてくる。もちろん、プロダクトデザイナーとして新しく豊かな表現をすることの価値は理解しているつもりですが、どこか社会と結びついていないように思えて。ないものはつくればいいですが、すでにあるものを編集して紹介したり、伝える側にまわってもいい。それくらいのスタンスで仕事できたら、と思うようになったんです。
その点、グラフィックやコミュニケーションデザインのほうには、プロダクトよりもう少し自由があるというか。ものごとを素晴らしく伝えることも仕事になるので、そういう技術を身につけ、扱えるようになりたいという感じでしたね。

原さんのことは著書で知っている程度だったが、川浪さんをよく知る長崎のアートディレクターが、川浪さんは原さんと合うのではないか、とアドバイスしてくれた。それをきっかけに正攻法でアプライして、原さんのもとで働くことになったのだった。
真逆ともいえる環境に身を置いて、川浪さんは自身のデザインの幅を広げ、スキルを磨いた。

———原さんもイタリアに違和感を感じてアジアを放浪していたことに、何か引っかかってくれたのかもしれません。ちょうどスタッフを募集していたこともあり、運良く引き受けてもらえました。
そして、原デザイン研究所は小浜の環境とまったく逆というか、まさにデザインの最前線の現場でした。「スイマーが最後にタッチする、その伸びきった指先くらいまで意識を通わせてほしい」と。それくらい抜かりなく完璧なものを出すという仕事をされていて。そこで、それまで独学だったグラフィックデザインを基礎から叩き込んでもらいながら、展示計画やサインデザインなど、平面だけでは完結しない分野も国内外で担当させてもらって。プロダクトから始めてそのままプロモーションまでかかわっていくとか、ジャンルを横断した仕事に幅広く携らせてもらいました。

城谷さんに感化された軸をもって、大きな振れ幅で動く。そして、まったく異なる環境のなかで、新しい技術を身につけつつ、自分の軸をたしかにしていく。そのバランスの取り方が川浪さんらしさなのかもしれない。
さらに、川浪さんは一歩引いたところから自分を眺めながら、あらためて自身の仕事を考えた。全体を眺める大きな視点もまた、城谷さんやマーリさんに学んだことでもあった。