(2016.03.13公開)
先頃、世界で初の写真集、ウィリアム・ヘンリー・フォックス・トルボットの『自然の鉛筆』(1844-46年)の邦訳が出版された。トルボットは、ダゲールと並ぶ写真草創期の「発明者」の一人である。それを読みながら、あらためて、写真が19世紀以降の造形芸術にもたらしたものの大きさについて考えていた。人間の手を介さずに像を生み出す、というこの技術は、どれほど当時の芸術家たちの関心(あるいは嫉妬)を駆り立てたことだろう。今ではたとえば、印象派の画家たちが絵画制作に際し写真を利用していたことは比較的よく知られている。だが、ときとして写真は、芸術家にとってそうした制作の補助という役回りを超えてしまうことさえある。
彫刻家メダルド・ロッソ(1858-1928)が自らの作品を撮影した一連の写真群は、その典型的な例であるように思われる。ロッソは、イタリアのトリノ出身の彫刻家で、長らくパリで活動した。オーギュスト・ロダン(1840-1917)の同時代人であり、今日ではロダンより知名度は低いものの、この近代を代表する彫刻家にも少なからぬ影響を与えたことが知られている。日本でも、箱根彫刻の森美術館や愛知県美術館などに作品が所蔵されているから、ご覧になった方もおられるかもしれない。
そのロッソの彫刻は、しばしば「印象主義的彫刻」と称される。病気の子どもを主題とした《病める子》(1893-1895)では、首を傾けた子どもの顔が、朧げな輪郭のうちに浮かび上がっている。ロッソの彫刻作品は、まるで対象が周囲と溶け合うかのように確固とした輪郭線を持たず、表面の繊細な光の戯れが鑑賞者に与える「印象」が何よりも重視される。「空間においては、いかなるものも物質的ではありえない」(「彫刻における印象主義」1909年)——彼の彫刻観をもっとも端的に表した言葉だ。そして、それ故に彼の作品は、その光の効果が最大限に現れる、ある特定の視点から眺められることを要求する。
「彫刻は、触れられるためではなく、芸術家の意図した効果にしたがって、ある一定の距離から眺められるよう、作られるのだ」(「彫刻における印象主義、解説」1907年)——ロッソのこの言葉は、1846年のサロンに際しシャルル・ボードレールが行った名高い彫刻批判(彫刻は、いくつもの視点から眺められるものであるが故に、絵画よりも劣った、退屈な芸術であるということ)を念頭において発されたものであったろう。ボードレールの批判に真っ向から応じるロッソにとって、写真とはまさしくその「一定の距離」、彫刻を見るための適切な視点をあらかじめ指定することのできる優れた媒体であった。
もっとも、ロッソの撮影した写真には「適切な視点」を得るための模索以上の意味合いがあったように感じる。私は数年前に「写真以後の芸術」をテーマにしたある展覧会で、ロッソの写真群を初めて眼にしてとても驚いてしまった。興味深いことにロッソは、同一の被写体を構図を変えてカメラにおさめるのみならず、その写真を切りとって厚紙に貼付けたり、上からテンペラで描き込んだり、さらには「写真の写真」を撮影したりしているのである。その手法は、ほとんどコンセプチュアル・アートを連想させる。そこに至って、写真はもはや、副次的な存在ではなく、それ自体で彫刻と同等な一つの「作品」になったかのようだ。
後年のロッソは、新しい造形を開拓するのではなく、限定されたモチーフを石膏、ブロンズ、蝋といったさまざまな素材で反復したことが知られている。恐らく、その彼にとって、彫刻と写真は、ある共通の性格を有するものであった。すなわち、「複製」という性格だ。ロッソは、複製すること——ただし、まったく同一のコピーを作るということではなく、もう一度制作するという意味で「複製(re-production)」すること——に取り憑かれた彫刻家であったのではないだろうか。この奇妙な彫刻家=写真家の革新性とは、ひょっとすると、まさに写真によって開かれたものであったのかもしれない。
興味を持たれた方へ:
ウィリアム・ヘンリー・フォックス・トルボット『自然の鉛筆』青山勝編訳、畠山直哉、マイケル・グレイ、青山勝、トルボット、金井直、ジュゼッペ・ペノーネ共著、赤々舎、2016年
シャルル・ボードレール「一八六四年のサロン」『ボードレール全集Ⅲ 美術批評上』阿部良雄訳、筑摩書房、1985年
メダルド・ロッソの文章は以下から訳出した:
Medardo Rosso, Scritti sulla scultura, a cura di Lorella Giudici, Milano: Abscondita, 2003.
図版キャプション:
メダルド・ロッソ《病める子》1893-1895年、石膏
メダルド・ロッソ《ヴェールの女性》の写真
メダルド・ロッソ《ヴェールの女性》の写真、1908-09年
(出典:メダルド・ロッソ美術館公式サイト)