このところ、筆が進まず原稿がまったく書けない。
本当に書けない。
このところ、毎年のように一般書を上梓している。一般書といっても歴史学の研究について論文ではなく、かみ砕いたものだ。
論文と一般書とは書くスタンスが異なる。論文は史料を博捜し、明らかとなったことを淡々と書いていくだけだ。しかし一般書とは読者層を想定し、分かりやすさを追求する。(とはいえ、拙著は漢字も多くて難しいといわれるが。。)
執筆を引き受けて、いざ〆切が近くなっても筆は進まない。
〆切が迫ってくると「あぁなんで引き受けたんだろう」と忸怩たる思いに襲われる。
そもそもスロースターターなので、アウトラインを考えて、更には「はじめに」でどんな噺をマクラとするか。それが思いついてようやく途につく。
しかし、それぞれの章を書いていくたびに「なんたる駄文」と思う。
私が研究している日本中世史の分野では、笠松宏至という優れた研究者であり名文家の先生がいる。(ちなみにいうと、岩波新書に『徳政令』という名著がある。文章を読むという点でも勉強になるので、ぜひ、読んでほしい)
学部生の頃から笠松先生をはじめとする優れた先生方の論文や一般書を読み「このような文章を書いてみたい」と思い続けているが、一ミクロンも近づけた気がしない。
あ、話が暗くなった。元に戻そう。
噺のマクラのネタは、考えるというよりも降りてくる、まさに降りてくる感覚が適切だろう。そんなマクラが降りてくるのをひたすら待ち、なんとか書き始める。
一般書は400字詰め原稿用紙で、250枚から300枚程度。文字数でいえば、10万字から12万字となる。
なんとか書き終わり編集さんに渡すと、他の仕事を放置しているため、十二分に溜まっており、すぐさま取りかかる。
しかし、一冊を書き終わると腑抜けになることが多い。「当分本は書かないぞ」と思う。
私にとって文章を書くということは、ある種、魂を鉋で削っているような感覚がある。
今年は特に原稿に追われることが多くて、気分は未だに2019年3月である。太陽太陰暦であれば閏月があるが、個人的には閏年として一年間を余分に欲しいくらいだ。
2019年度に入ったことを認めたくない。しかし現実には秋となり、気付けば2ヶ月で2020年になるらしい。
そんな腑抜けのまま10月は諸々の校務にも追われ、東京と京都とを往復し続け、いまも京都にきている。月末までに論文を一本書きあげないと。しかしそんな時間があるのか?と思っているときに、まったく想定もしていなかった原稿のリマインダーが届いた。
このアネモメトリのコラムである。
あぁ書けない。できることなら飛ばしたい。しかし飛ばすことは出来ない。
過去の原稿を読み直す。何かネタはないものか。
そうしたら〔空を描く 184〕で「〆切に際して想うこと」と題して「〆切を考えることは、ある種の時間のデザインではないか」と書いていた。どうやら2016年の私も今と変わらず〆切に追われていたようだ。
進歩のない私であった。
そんなことで今回のコラムは、山なし・意味なし・落ちなしの、まごう事なき「やおい」です。次の順番までには、何か降りてきますように。