現在、愛知県で大きな芸術イベントが開かれている。あいちトリエンナーレ2019だ。2010年の初回から数えて4回目となる今回は芸術監督にジャーナリストの津田大介氏を招いて「情の時代」をテーマに国内外からセレクトされたさまざまな作品を愛知芸術文化センター、名古屋市美術館、四間道(円頓寺)、豊田市美術館(および豊田市駅周辺)の4地区に分けて展示している。ちなみに「情」とは「感情」・「情報」・「なさけ」を指す。この度のコラムではその様子について簡単に報告する。
8月1日に開幕するや否や、同トリエンナーレの一部である企画展「表現の不自由展・その後」の内容に対して抗議が殺到し、同企画展は間もなく公開中止に追い込まれた。さらにトリエンナーレ本体に作品を出展する複数の作家たちが、こうした運営側の対応を批判し、自らの作品の公開差し止めを求めたことで、この芸術イベントは大きな傷を受けると共に、皮肉にもこれまででもっとも世間の注目を集める結果となった。ちなみに「表現の不自由展・その後」の中止に関しては、すでに多様な意見が提起されており、おそらく今後も幅広く議論が続けられることになるだろう。あらためて言うまでもないが、民主主義を標榜する社会において表現の自由、言論の自由は守られなければならない。閉ざされた「表現の不自由展・その後」の展示室(愛知芸術文化センター/撮影日2019年9月26日)
「表現の不自由展・その後」の中止、こうした運営側の対応に反発した作家たちによる同トリエンナーレにおける作品公開取り止めの動きを、マスコミが連日報道したことによって、見どころが失われたかのように思えるが、さにあらず。実際に見学してみると、大量の情報が流通する現代社会のなかで翻弄される我々の姿を、ユーモアやウィットを介して気づかせてくれる良質な作品に出会うことができる。本来、同トリエンナーレを構成する一企画であった「表現の不自由展・その後」に耳目が集まってしまい、「情の時代」というテーマ設定や個々の作品が十分に評価されない状況は残念極まりない。
レニエール・レイバ・ノボ《革命は抽象である》(壁に展示された絵画はインスタレーション作品の一部/抗議として作品を新聞紙[「表現の不自由展・その後」の中止を伝える紙面など]で覆い見えなくしている)2019年(豊田市美術館に展示/撮影日2019年9月27日)
芸術監督の津田大介氏が芸術分野の出身ではなく、ジャーナリストあるいはメディア・アクティビストであることから、同トリエンナーレに展示されている作品は、いわゆる「芸術のための芸術」、すなわち純粋芸術ではなく、社会に潜んだ見えにくい問題を芸術の力によって可視化し考えさせようとする作品が多い。例えば、豊田市美術館に展示されたタリン・サイモンの《隠されているものと見慣れぬものによるアメリカの目録》などである。複数枚の写真で構成された一連の作品には、隔離された場所で人知れず幻想的な青白い光を放つ核廃棄物などの画像が含まれている。また、豊田市の近くにある廃業した老舗料理旅館「喜楽亭」の内部で上映されるホー・ツーニェンの映像インスタレーション《旅館アポリア》(2019年)も、第二次大戦末期に同地から出撃した神風特別攻撃隊の隊員がこの料理旅館を利用したという事実を基に構成されている。それぞれの土地のもつ一般的には忘れさられた歴史を作品観賞者に提起するという点で、我々の目を見えにくい問題に向けさせる作品と言えよう。
タリン・サイモン《隠されているものと見慣れぬものによるアメリカの目録》2007年(豊田市美術館に展示/撮影日2019年9月27日)
このようにメッセージ性が強く、しかも絵画や彫刻といった既存の表現媒体ではなく、コンピュータやWebあるいはIoTなどを取り入れた映像・パフォーミングアート・複数のメディアが合わさったインスタレーション作品などが展示の主流であるために、観賞の際には作品の制作背景等をある程度理解しておく必要がある。そのために、キャプション、あるいはボランティアガイドによる解説が不可欠である。私はボランティアガイドさんに案内をお願いした。作品の一義的な意味を一方的に説明するのではなく、観賞者がその見所や解釈へと至るための手がかりを上手く気づかせてくれる対話形式のガイドには感心した。芸術監督や作品を出品する芸術家たちだけではなく、こうした多くの人びとの長期間にわたる努力があったにもかかわらず、上述したようなトラブルに見舞われたことは口惜しい。
あいちトリエンナーレ2019は10月14日までの開催。1人でも多くの方に見て欲しい。なお、豊田市美術館では同日までクリムト展も開かれている。
Cover Photo: ウーゴ・ロンディノーネ《孤独のボキャブラリー》2016年(愛知芸術文化センターに展示/撮影日2019年9月26日)