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#318

「文句」の構造
― 早川克美

文句

(2019.7.7公開)

 世の中には「文句」の多いという人がいる。何かの事象に出くわすと「文句」がついて出る。そして「文句」をひとしきり言うと一定の満足を得られるのか、大抵の場合、しばし静かになる。時には「文句」が「文句」を呼ぶのか、何もかもすべてが「文句」の対象に及ぶこともある。そうなるともう手がつけられない。

 なぜ、「文句」を言うのだろうか? 今日はその構造を考えてみたい。

  • 文句とはなにか?

 文句に近いものとして、クレーム、苦情、不平不満、抗議、などが挙げられる。「苦情」は、自らに何らかの害が及んだことについての抗議だ。害がなければ、苦情を述べることはない。一方で、「文句」は、対象への不平不満についての抗議だ。自分の期待が満たされない時、実態はどうであれ、人は不平不満を抱き、文句へと移行する。

  • 文句の特徴

文句を言う人を観察して、その特徴を整理してみた。

  1. 正しいのは自分

「相手が悪い、正しい使い方をしているのに思った成果が得られない。」

何よりも先に自らの正当性を主張し、先入観や思い込みが激しい。

  1. 自分を省みない

「できないことを相手のせいにする、価値観に合わないものは否定する」

自分に足りないものはなかったかという内省ができない。

  1. わかろうとしない

「なぜそうなっているのだろう、どうしたら解決できるのだろう」

自ら知ろうという好奇心や努力が欠如している。

  1. 感謝できない

「ありがたいなぁ、うれしいなぁ」

眼の前の些細な出来事や環境への感謝ができない。

  1. 同調の強要

「あなたもそう思うでしょう?」

周囲に文句の同調を強要し、自信を持とうとする。

 以上、5つの特徴を挙げてみると、文句とは、主観的な不平不満の感情の発露だということがわかってきた。

  • 文句による損失

 文句の5つの特徴から見えてくるのは、2つの損失だ。一つは、文句はその人の成長機会を阻害しているということだ。わからないことや価値観の違うことに出会った時、知らなかった自分を自覚し、知ろうとする努力や、違いを受け入れようとすることは、人間を成長させる。その貴重な機会を文句は損失させてしまうのだ。もう一つは、文句を言う姿勢がその人の幸福度を低減させてしまうということだ。日常のささやかな出来事や環境を感謝できることはその人を確実に幸福に導くが、文句しか見つけられない姿勢からは小さな幸せは生まれないだろう。また、文句を周囲に同調してもらいたいという姿勢も、結果として人が離れていく遠因になるかもしれない。このように、文句からは何も生み出せないのだ。

  • 文句を言わないためのマインドセット

 さて、文句を言わないようになるには、どのようなマインドセットが必要なのだろうか。これには提案がある。「文句」と「意見」の違いに着目し、「文句」を「意見」に変換することだ。文句は主観的な感情だが、意見は客観的な事実である。一度自らの中に湧き上がった文句という感情を表明する前に一旦客観視して、意見に変換できるかを問うてみる。感情のみの内容であれば、内省し再考する。事実が集められれば意見として表明する。これだけでかなりの文句を減らすことができるのではないだろうか。文句を意見に変換するプロセスを書き出してみよう。

  1. 今、自分は何に不満を抱えているのか?
  2. 原因はどこにあるのか?
  3. この不満は自分だけなのか?
  4. 他の人はどう思っているのか?
  5. 改善策はあるのか?
  6. 伝えたほうがよい問題か?
  7. どうやって伝えたらいいか?
  • さいごに

 文句を言う人の多くは無邪気で悪気がない。思ったことを一方的な正義感で語るからタチが悪い。そして文句は感情なので、理屈で対応しても埒が明かない。今回、「文句」について考えることで、少しばかり文句に対して冷静に受け止められるかもしれない。

 もちろん、私自身、文句を言うこともあるわけで、これは自らを戒めるための思考整理だったのかもしれない。問題を発見した時は、まず一度引いて考える。意見を言うべき時は事実を積み重ねて実行する。不平不満を抱く前に、ささやかな幸せを見つけて感謝して生きていきたいものだ。