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#285

マリーズ・コンデのこと
― 大辻都

マリーズ・コンデのこと

(2018.09.16公開)

今年もノーベル賞のシーズンが近づいている。例年10月上旬に分野ごとの賞が発表されるが、文学賞に関しては2018年度は見送りが決まっている。昨年、審査関係者にセクハラスキャンダルがあったための異例の措置である。そこでノーベル財団の本拠地スウェーデンに有志によるNPOが立ち上がり、今年にかぎり新ノーベル賞が授与されることになった。47人の候補作家が挙げられ、投票形式で4人が最終候補に残っている。村上春樹、マリーズ・コンデ、キム・チュイ、ニール・ゲイマン。日本では当然、かねてから毎年受賞が話題になってきた村上春樹への関心が高いことだろう。だが私には、すでに齢80歳を超えているマリーズ・コンデの行く末が一番の関心事だ。
コンデは私が大学院時代から研究対象にしている作家である。フランス語で小説や戯曲の創作をおこなっており、国籍もフランスだが、出身は長らくフランスの植民地であり現在は海外県となっているカリブ海の小島グアドループ島だ。有色人のブルジョワ家庭に育ち、高等教育を受けるため10代半ばでフランス本国の首都パリに出る。そのとき周囲から初めて受けた視線は自分をフランス人と信じていた少女には衝撃であり、彼女のアイデンティティ模索の旅が始まる。ソルボンヌ大在学中にギニア人俳優と恋に落ち、結婚して夫の故郷アフリカ大陸へ。二十世紀半ば、独立間もないギニアや周辺国で目の当たりにする政情不安、アフリカ特有の大家族のなかでの子育てと離婚……。1970年代、再び戻ったパリで、フランスにもアフリカにも居場所を見出せなかったみずからの半生を素材としながら、作家デビューを果たす。その後はアメリカ合衆国で大学教員を務めるかたわら、故郷グアドループにも暮らし、旅を続けながら作家としての地歩を固めてゆく。
多大な数にのぼるその創作を貫いているのは、カリブ海の島に生まれた人間特有のアイデンティティ探求だ。グアドループにかぎらずこれらの島々は共通して、近代以降のヨーロッパ人入植と奴隷制という過去を持つ。アフリカから連行された奴隷とヨーロッパ人植民者の共存する島々では年月を重ねるごとにいやおうなく混血が進み、同時に彼らが各自持ち込んだ言語や文化が撚り合わさって新しい文化――クレオール文化――が形成される。現在この地に生まれ育った人々がみずからの存在を問うとき、唯一の根をイメージするのは不可能だし、意味がない。
この感覚は、みずからの言語や文化を単一的なものと考えがちな日本人には馴染みがあるとは言い難いだろう。だがじっさい漢字ひとつをとっても、ある文化や伝統の生命力は外との出会いや変容を前提に育まれており、起源の純粋さとは関係がない。そのうえでさらにコンデは、作家としての言語を次のように性格づける。

作家にとっては、母語も植民地化の言語もありません。あらゆる言語は作家にとって外国語です。作家はそれら外国語を解体して、自分だけに固有の小さな音楽を鳴り響かせるのです。(『越境するクレオール』)

コンデの小説世界や創作観に触れると、自分が知らずに囚われていた先入観に気づかされ、視界が広がってゆく気がする。最初に作家本人と出会ったのは2000年。当時、アメリカ合衆国の東岸に住んでおり、小旅行でニューヨークを訪れた私は、コロンビア大学のキャンパス内を歩くコンデと偶然知り合うことになる。作品を読んだことがあると告げると研究室に招かれておしゃべりし、大学院のゼミにも参加させてもらえるという貴重な経験を得た。作家本人との出会いが研究テーマにつながるというのは珍しいかもしれないが、これを機会に彼女のすべての作品を読んだとき、込み入った歴史背景やアイデンティティの複雑さを根底に抱えながらも、あくまで個人としてふるまう自由な世界観に文学の可能性を感じ、研究してみようと思った。
カリブ海、フランス、アフリカ、アメリカ……。つねに移動をくり返し旅の途上にあることを創作の糧とし、幾度か日本も訪れたことのあるコンデだが、高齢になって病を患い、現在は南フランスの景勝地ゴルドの村に暮らしている。手足が徐々に効かなくなったと言い、もはや引退かと思われたが、なんと現在の夫による口述筆記で作品を発表するようになった。最新作は2017年に刊行された長編小説『イヴァンとイヴァナの数奇で悲しい運命』。イスラム原理主義に身を投じるカリブ海出身の若者の顛末を描いており、近年のフランスの社会問題や現実の事件を反映しつつ豊かな物語に昇華させた大作だ。そこから感じとれるのは老齢の作家らしい静謐さよりむしろ、身体の衰えと反比例して今なお諦念を見せず世界に参加し続ける生命力である。
何かと秘密のヴェイルに包まれ、事前に候補者は公表しないノーベル賞だが、じつは以前から下馬評ではコンデの名前が挙がっていて、私も毎年いざという場合の原稿準備を依頼されてきた。サルトルが受賞を拒否したことは知られているが、「私は逆に大喜びよ!」とはっきり言うところもコンデらしい。今年は冒頭に書いた理由で本賞がなく、勝手ながら高齢の彼女には思うところがあるだろうと想像していた。ノーベル賞は存命の人間にしかあたえられないのだ。今年かぎりを条件に創設された新ノーベル賞では、候補者名が明らかにされ、コンデは下馬評でなくれっきとした最終候補者になった。コンデ本人とは違い「ノーベル賞なんて別に……」と頭では思いながらも、10月の発表を前に私までそわそわしてくる日々である。