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#283

荒井寛方の画業(1)-初期活動を中心に
― 三上美和

《温和》アイキャッチ

(2018.09.02公開)

みなさん、こんにちは。芸術学コースの三上です。まだ暑い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。肌に触れる風が少しさわやかになり、夜は虫の音が日増しに大きく、秋の気配も感じられるようになりましたね。

前回、日本画家荒井寛方(1878-1945)について、寛方を生涯にわたって支援した原三溪との関わりを中心に、画業全体を紹介しました。そこで今回は、寛方が師について修業した初期の活動について触れたいと思います。

寛方の生涯は以下の五期に区分されており、今回は1)の20代、修業時代を取り上げます。

1)20代 明治32-34年頃:手習い、水野年方門下で修業を重ねる。
2)30代 明治35-45年頃:國華社時代、古名画の模写。官展へ出品。
3)40代 大正3-15年頃:渡印、インド風の作品制作。
4)50代 昭和元―14年頃:古典回帰。
5)60代 昭和15―20年代:仏画を主として制作。

寛方は明治11年、栃木県氏家町(現さくら市)で、提灯などに絵付けする上絵師を家業とする荒井家に生まれました。父荒井藤吉は画家を志し、素雲と号して明治26年、上京し、高名な文人画家である瀧和亭に師事しています。しかし病のため父は画家の道をあきらめ、その夢を寛方に託すことになるのです。明治32年に一家は上京し、寛方は歴史画をはじめ挿絵画家としても活躍していた水野年方に師事し、本格的な修業を始めます。

寛方が師とした水野年方(1866-1908)は、幕末から明治期に活躍した浮世絵師、月岡芳年に師事し、その後文人画家、花鳥画家にも学び、新聞の挿絵で頭角を現します。当時斬新だった洋装の婦人像などの風俗画も描き、岡倉天心の率いた日本美術院展覧会(初期院展)でも活躍しました。年方については清方による随筆『こしかたの記』でも詳しく語られています。年方門下からは、寛方をはじめ、鏑木清方、池田輝方などの優れた日本画家たちが出ています。さらにさかのぼると、芳年の師は江戸後期に多彩な浮世絵を残した歌川国芳でした。この国芳、芳年、年方から寛方、清方へという流れは、江戸期の浮世絵系絵師が近代日本画の展開に重要な役割を果たしたことを示しています。寛方について話を戻しますと、寛方は後年、再興日本美術院に参加し、再興院展で活躍することになりますが、画業の出発点は浮世絵系の歴史画や風俗画にあったと言えます。これはこの先の寛方の画家としての活動にもかかわっていくことになります。

ところで、年方の指導法は、師の模倣を良しとせず、写生を重視するというもので、弟子たちによる自主的な研究会を奨励しました。そうした研究会の成果を集めた「研究画林」と題された資料(綴じ本、さくら市ミュージアム-荒井寛方記念館蔵-)を見ると、「宴会」「浜遊び」といった画題に沿った寛方による作例、さらに各自の絵の評価を示す点数が記載されています(20点満点で寛方の点数は10点から11点という判定です)。寛方を始め、若い画家たちが研鑽を積んでいる様子が伝わってくる貴重な資料です。

ここで当時の寛方の作風をよく表している作品を紹介しましょう。

《温和》1901年、絹本着色、軸、130×55.5㎝、さくら市ミュージアム-荒井寛方記念館-寄託

《温和》1901年、絹本着色、軸、130×55.5㎝、さくら市ミュージアム-荒井寛方記念館-寄託

《温和》は明治34年、第10回絵画協会第5回日本美術院連合絵画共進会に出品され、二等褒状を受けた作品です。あたたかな春の日差しの下、のんびりとくつろぐ一家の何気ない仕草を描くことで画題の「温和」を表現しています。衣類の線は太くはっきりと、それに対して人物の顔、頭部は繊細なタッチで細やかに描かれています。こうした線描によるメリハリをつけた人物描写は、当時の風俗画によくみられる手法です。一方、子供の幼い顔つき、それを見守る母親の顔には写実性が感じられ、人物の体つきにも人体の立体感がしっかりと表現されています。師の年方は歴史人物画を得意としており、本作品でも、寛方がそうした師の作風をよく学び取っている様子がうかがわれます。修業時代の一例ではありますが、画面の下に人物をまとめ、母子に視線を集中させる的確な構図、線の美しさが際立つシンプルな淡い色調など、当時の寛方の実力が遺憾なく発揮された好例と言えるでしょう。

師の勧めで出品した《温和》で褒状を受けた寛方は、明治40年から始まった文部省美術展覧会(文展)に第一回から連続入選し、活躍の場を広げていきます。それについては次回お伝えしましょう。

参考文献:「さくら市ミュージアム-荒井寛方記念館-第93回企画展 荒井寛方名品展―郷土に伝わる名作―」展図録、2016年、さくら市ミュージアムー荒井寛方記念館ー『荒井寛方作品集』2007年
図版典拠:さくら市ミュージアムー荒井寛方記念館ー『荒井寛方作品集』2007年