(2018.07.29公開)
パリに滞在中、フランクフルトの美術学校に留学した学生から「ゼミ旅行でパリに行くので、もし時間があれば会いませんか?」と連絡があった。その日は、出品する展覧会の初日でオープニングパーティがあったが、なんとか夜には時間が空きそうだったので会う約束をした。すると「その夜は一緒に行く友人がポンピドゥー・センターでレクチャーをするので、一緒に参加しませんか?」と誘いがあった。学生がポンピドゥー・センターでレクチャーするなんてどういうことなのだろうかと思いながらも、事情もわかるだろうし、参加することにした。さらに、誘ってくれた学生は「ゼミ旅行には、ゼミの教授のペーター・フィッシュリも引率で来るし、そのレクチャーに出席しますよ!」と教えてくれた。ペーター・フィッシュリは、ご存知の方も多いと思うが、ドラム缶、タイヤ、脚立、バケツ、クツ、水、火、土などを使用しながらドミノ倒しのような連鎖が続く「事の次第」という映像作品で知られ、世界中の大きな展覧会に参加し続けているアーティストである。そんな人のゼミ生の活躍を見ることのでき、さらにはペーター・フィッシュリ本人を拝見できるまたとない機会だと思っていた。
出品する展覧会のオープニングパーティを抜け出し、ポンピドゥー・センターに向かった。既にレクチャーははじまっていたが、後列に座ることができた。レクチャーをしていた学生は、ポンピドゥー・センターの地階にある若手を支援する小さなギャラリーでの展覧会開催の権利を得、それにともなってレクチャーを開催していた。堂々と作品の裏に隠された細やかな関係性について語るよいレクチャーであった。そして、会場を眺めると、前方にペーター・フィッシュリが座っていた。レクチャーが終わり、レクチャーホールの入口あたりで、留学した学生とフランクフルトの美術学校のことなどを話していると、ペーター・フィッシュリがレクチャーホールから出てきた。咄嗟に留学した学生がペーター・フィッシュのほうに歩き、ふたりで会話をしたと思ったら僕のほうを指差し、ペーター・フィッシュリがうなずいた。そして、僕に向かって歩きはじめ、僕の前で止まり手を差し伸べてきた。
僕も手を出し握手を交わした。そして、5分程度会話をすることができた。作品制作をはじめた頃からよく見ていた作品の作者が目の前にいる驚きは大きかったが、驚いている暇もなく、何気なく自然に会話をしていた。はじめましての挨拶から、留学した学生を世話してくれていることへのお礼と現在の学生の様子の報告など、これも教員同士でする何気ない会話であった。ペーター・フィッシュリ&ダヴィッド・ヴァイスから刺激を受けた作品の話しをすると、作品の説明や作品ができるプロセスなどを話してくれた。そして、ペーター・フィッシュリは、自分のことをアーティストというより旅人だと言っていた。まさに、ヴィジブルワールドという作品は、旅人だからこそできた作品であろう。また、スイスのチューリッヒの自宅からフランクフルトへも毎週のように通っていると言っていた。そして、二週間後にまたフランクフルトの美術学校でゼミがあるから参加しないかと誘っていただいた。
二週間後、ゼミに参加するためにパリからフランクフルトへ向かった。電車の遅れがありゼミの始まる時間に間に合わなくなってしまったので、遅れての入室を断念したが、ゼミが終わるまで待っていた。ゼミ室から出てきたペーター・フィッシュリに声をかけると、パリで会った人だね、来てくれてありがとうと返してくれた。パリとフランクフルトでのペーター・フィッシュリとの何気ないシンプルな挨拶と少しの会話であったが、作品制作をはじめ刺激された作品の作者と時間と空間を超えて出会え、会話ができたことの大きさを実感した。
実は、留学した学生はペーター・フィッシュリゼミとは異なるゼミに所属していたが、勝手に旅行について来ていた。その後、その学生はペーター・フィッシュリのゼミ生となった。しかし、今年度で、ペーター・フィッシュリは退官し、フランクフルトの美術学校を去るという。この一連の出来事も事の次第なのだと実感する。